子供がまだ小さい頃、よく行き先を決めずにドライブに出かけました。子供たちは、大喜びでワクワクして車に乗り込みますが、すぐに寝てしまう始末でした(笑)時には、夜、子供が寝る時間前に出発することもありました。そんなドライブのことを、ミッドナイトツアーとか、ミステリーツアーとか命名して、家族みんなで楽しみました。
ある時は、夜食にカセットコンロでお湯を沸かして、車の荷台に腰をかけて、カップラーメンをすすったこともありました。あの時のカップラーメンの味は、何ものにも変えがたい美味しさだったと蘇ります。
いつもと違うことするだけで、気持ちが高揚したものです。行き先は決めずに家を出ますが、何となくこっち方面かなと、確率的に言えば、道東方面が多かったように思います。特に富良野は必ず寄るところでした。早朝に富良野駅に着き、朝方家族5人で川の字で寝たこともありました。
目標や目的を決めずに生きるということは、いつも目標や目的を持って生きている、若しくは生きなければいけないという固定観念からすると、まったくの真逆の行為であり、とても不確かで、何が起こるかわからない不安の中に身を置くことになるけれども、そんな中でも、その先に何が起きるかわからない希望や楽しみというワクワク感が待っているかもしれないという、そんな自由な感覚と、何かとてつもなく大きな何かに包まれ守られているような感覚を抱くこともできます。
そんな生き方が出来るといいなと、本来の正しい生き方?に対して抗うこともせず、魂の赴くままに生きてみる、自分の思うままに生きることは、もっとも大切なことだと思うのです。
ある時は、夜食にカセットコンロでお湯を沸かして、車の荷台に腰をかけて、カップラーメンをすすったこともありました。あの時のカップラーメンの味は、何ものにも変えがたい美味しさだったと蘇ります。
いつもと違うことするだけで、気持ちが高揚したものです。行き先は決めずに家を出ますが、何となくこっち方面かなと、確率的に言えば、道東方面が多かったように思います。特に富良野は必ず寄るところでした。早朝に富良野駅に着き、朝方家族5人で川の字で寝たこともありました。
目標や目的を決めずに生きるということは、いつも目標や目的を持って生きている、若しくは生きなければいけないという固定観念からすると、まったくの真逆の行為であり、とても不確かで、何が起こるかわからない不安の中に身を置くことになるけれども、そんな中でも、その先に何が起きるかわからない希望や楽しみというワクワク感が待っているかもしれないという、そんな自由な感覚と、何かとてつもなく大きな何かに包まれ守られているような感覚を抱くこともできます。
そんな生き方が出来るといいなと、本来の正しい生き方?に対して抗うこともせず、魂の赴くままに生きてみる、自分の思うままに生きることは、もっとも大切なことだと思うのです。