アウル通信
『我慢』
2025年 8月号 NO:247
最近、気になる言葉がありまして『我慢』という言葉です。『がまん』と読みます。
『我慢』とは、仏教用語で、我の慢心という意味だそうです。
では「慢心」をググってみると「心の中で自分のことを自慢すること。おごり高ぶる心」とありました。そう考えると『我慢』は、自分の中にある慢心が抵抗している姿と理解できます。
そもそも私たち人間は、大したものじゃないのに、メンツや体裁、プライドや主義主張を気にして時に慢心を抱いてしまいます。その慢心があるばっかりに、傷ついたり、落ち込んだり、抵抗します。そもそも慢心がなければ、我慢をする必要はなくなるし、どうでも良くなるのだと思います。自分は大したもんじゃないと思えれば『我慢』は必要なくなるし、『我慢』がなくなると心の中の葛藤や争いもなくなります。
私たちの業界で有名な長谷川和夫先生(長谷川式認知機能スケールを開発した人)という方がいらっしゃいます。長谷川先生は、ご自身が認知症の状態になりました。その時「認知症になって初めて認知症の状態にある人の気持ちがわかった」とおっしゃいました。僕の勝手な解釈ですが、彼には慢心がなく、自身に起きている全ての出来事を受け容れた人の言葉だと感じました。
そもそも僕らの周りには、幸も不幸もなく、ただただ今自分の目の前で起きている現象や出来事に対して自らが幸、不幸を決めている姿があるだけ思うのです。
最近そんなことを考えておりました。
特に私のような立場の人間にとっては、慢心を抱くことなく自分自身への戒めと捉えて淡々と実践して参りたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。