アウル通信
『お袋らしく生ききる』
2025年 9月号 NO:250
昨年の6月24日、もう病院での治療や手立てはないとはドクターに告げられ、当ホーム(グループホームアウル登別館)に戻り、看取りのためのカンファレンスを関係者でおこなってから、1年と2ヶ月が経ちました。これまで、お袋の生命力の強さというか、最後まで口から命をいただくことを目指し、その生きる力の凄さを目の当たりにして来ました。ですが、やはり92歳という年齢を考えるとその力の衰えには抗えず、誤嚥性肺炎を患い、それがきっかけで、飲み込みが困難となりました。
肺炎に対する積極的な治療をしつつ、出来るだけ本人に負担がかからないような手立てを調整していただきましたが、やはり水分や栄養を摂ることが出来ず、看取りのケアに入ることを、家族、ドクター、訪問看護、グループホーム職員で話し合いました。
口腔内のケアや体位交換、清拭、室内温度湿度環境等の調整、声かけ、マッサージ、定期的なバイタル確認などなどの支援に移行して、出来るだけ安楽な状態で過ごせるように配慮すること、一日2回の訪問看護のほか、訪問リハビリで、関節の拘縮予防と安楽な呼吸緩和のためのマッサージなどしていただき、関係する医療専門職との連携も密に共有することになりました。
お袋は本当に幸せな人生だったと思います。現に本人はいつも「私は幸せものだわ」と子供や孫たちや周囲の人に言っていたほどです。
「ありがとう」が口癖で、これまで何万回の何百万、何千万と言い続けてきた「徳」が、なんの病気もせず、自然な形での老衰という今の最後の姿を導いているものと感じます。わたしの妻のお母さんですが、本当の母親のように思っておりました。わたしの両親は伊達市に在住、奥さんのお母さんは登別。伊達と登別にグループホームを開設した訳の一つに、両方の親を最後までみることが出来たらという想いがありました。 今回は、妻のお母さんの看取りでした。最後の最後まで、安楽に穏やかな環境で、自然な形でその命をまっとうし生ききることが出来るように、そっと支援することができました。
そのお袋ですが、令和7年8月29日午前9時12分、グループホームアウル登別館にて、妻とわたしとグループホームアウル登別館の職員の皆さんに見守られながら、静かに眠るように息を引き取りました。最後まで暖かく見守って下さり、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
口腔内のケアや体位交換、清拭、室内温度湿度環境等の調整、声かけ、マッサージ、定期的なバイタル確認などなどの支援に移行して、出来るだけ安楽な状態で過ごせるように配慮すること、一日2回の訪問看護のほか、訪問リハビリで、関節の拘縮予防と安楽な呼吸緩和のためのマッサージなどしていただき、関係する医療専門職との連携も密に共有することになりました。
お袋は本当に幸せな人生だったと思います。現に本人はいつも「私は幸せものだわ」と子供や孫たちや周囲の人に言っていたほどです。
「ありがとう」が口癖で、これまで何万回の何百万、何千万と言い続けてきた「徳」が、なんの病気もせず、自然な形での老衰という今の最後の姿を導いているものと感じます。わたしの妻のお母さんですが、本当の母親のように思っておりました。わたしの両親は伊達市に在住、奥さんのお母さんは登別。伊達と登別にグループホームを開設した訳の一つに、両方の親を最後までみることが出来たらという想いがありました。 今回は、妻のお母さんの看取りでした。最後の最後まで、安楽に穏やかな環境で、自然な形でその命をまっとうし生ききることが出来るように、そっと支援することができました。
そのお袋ですが、令和7年8月29日午前9時12分、グループホームアウル登別館にて、妻とわたしとグループホームアウル登別館の職員の皆さんに見守られながら、静かに眠るように息を引き取りました。最後まで暖かく見守って下さり、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。