昨日は久々におもろかったー
仙台センターの阿部先生とご一緒させていただいた
流石である
いつも思うが論点を明確にしてくれる人だ
別な角度からみる視点に触発された
今回は自分の価値観を確かめる機会にもなった
僕はできた人でもできない人でもない
僕もど素人だったし
僕も異業種からこの世界に入って来たし
理由もその当時給料や安定だったし
教育プログラムがあって教育されたわけじゃないし
混沌とした時代だった
いわゆるオフJTがメイン
頼りは自分の感性だった
そこには自分を育もうとする切っ掛けはたくさんあったのは確か
今思うとそれだけが頼りだったね
そのたくさんある中でどう感じるかだったんだろうなぁ
そのプロセスでできたかそうでないかという結果に過ぎない
僕はなんどもこの業界から逃げようともしたし
他の仕事をしようと現実逃避も考えた
それも不純な考えで
実際に上司に辞表を出して他の施設の面接試験を受けに行ったこともあった
上司や職場に対してもな反面教師の部分もあったからね
その自分の中と外にあるネガティブさも
今も続けていられる原動力かもね
でも振り返ってみると
僕の場合は運が良かったのか上司や職場環境と役目に恵まれていたと思うね
最初からできる人間なんかいない
強いて言うなら
その都度なんとか難局を乗り切って来たってーのが正直なところかな?
あんたはできる人だろうと言われて反感感じたのがそこだな
今の僕だけ見て僕の何がわかるの?って感じ
わかってもらえないのさ
本当のところは誰にもわかってもらえないのさ
僕も人のことなんかわからないもん
でも最近は人にわかってもらうために言ってんじゃなくて
自分に嘘はつきたくないから
正直に生きるようにしているだけさ
前はわかってもらおうと必死だったね
こんなに頑張ってるんだってね
こんな自分を評価してってね
こんな自分を評価しない周囲に問題があるってね
つまりは自惚れてたってわけさ
これも結局自分でなんとかするしかないわけよ
そもそもなんとかしなきゃって思えるか思えないか
そう感じるか感じないかだから
その人間の感性に委ねるしかないわけよ
今54歳のこの歳になってこうだから
どうもなんないね
僕はこうした日々の繰り返しの中で
自分で感じて獲得して行くしかないと思ってるのね
だからそう言う機会をたくさんたくさん備えてそこら中に散りばめとく
そこにどう反応するかを
こんな話をしながら
スタッフに発信したり機会をつくってるのさ
僕の仕事はそこんところを意識していることだよね
直接は言わないよ
直接言う人は管理者くらいかな
あと僕に質問して来たスタッフと面接の時くらいかな
このブログもそう
こうして僕の考えを発信することで
これもどう感じるかの自分の心をみる機会だよね
そもそも見るか見ないかもあるけどね
最近僕が講演や研修会で発信していることだってそう
やっと最近わかって来たことを正直に伝えているだけ
だから理想でもないし理念でもない
ただただ僕が今感じていることを話しているだけ
聞いている側も感情的には半々なんじゃないかな?
研修会や講演の資料をホームページにアップしているのも
スタッフが自由に見れるっしょ
施設長は今何を考えているのかってね
それでいいんだよ
わかってもらえないんだよ
ただただこのもがき姿を見せていればいいんじゃないかな
研究者としてはそれを定義づけてある程度一般的な姿として発信したいんだろうけどね
お互いの領域で叛骨しながらもコンセンサスをどうして行くかを考える関係ができるといいね
でも基本めんどくさいのは嫌だから
なんとか方式てぇーのだけはやめて欲しいな
なんだか長々と書いてしまったけど
すんまそん
ではこの辺で
nao
未承認 2016.10.24-16:16 このコメントを編集する
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