『生』と『死』について考えました
考え抜いたまではいきませんが
そこそこ考えました
そしてある結論に達しました
それは
僕の場合は生命保険やガン保険に入るときに考えるくらいだということ
ということで
僕はあまり死ぬということに執着していないということに気がつきました
さらになんでだろうと考えました
するとある経験に行き着いたのです
実は僕が50歳になる年に少し大げさですが
生死分け目の大きな病を患ってしまったんです
もう完治しないそうです
寛解という状態にはなるようですが
未だにプレドニン(ステロイド)を飲んでます
そんでもってその時も考えたんです
入院中は考えることくらいしかないので
この先どうなるんだろうって
色んな不安が襲ってきました
家族のこと
会社のこと
お金のこと
死ぬということ
いろいろでした
その時の結論がこうでした
人はいつか死ぬ必ず死ぬ
どんな死に方をしようが平等に死ぬ
逆に相対的に
今生きているということはいろんなことを謳歌したほうがいいんじゃね
という最終的な結論に達したわけです
なので結構考え抜いた結果
自分が死ぬということに関しては無頓着なのでしょう
でもね
そんなことを考えていたら
僕1人で生きているわけではないということに気づいたんです
ですから
一度離婚した奥さんと
もう一度やり直すことにしたんです
彼女は命の恩人なんです
そうやってなんだかんだと今生きています
かなり脱線してしまいましたが戻します
僕のホームは
『認知症』という誰かが名付けた状態にある人の、支援を考えながら生活を営んでいるところです
ですから
否応なしに人と人との繋がりが生まれます
人と人とが支え合いながら
わけのわからない病とたたかいながら生きているんです
それも治らないそうです
困ったものです
ですからどう死ぬかなんてどうでもよくて
それよりも今この瞬間をどう生きるかを
そしてどう人生を謳歌するかを考えたほうがいいに決まってるんです
ということは
基本的に僕のホームでは
死に対して特別なことはしていません
ただただひたすら生きていることに不快な状態や状況にならないように
みんなで考えて生きているということを支えていくだけです
ちなみに僕のホームでは
これまで14名の方が命を全うされました
ですから
僕には「こうあるべき」とか「ねばならない」ということがありません
これが私の考える『死』と『生』なんです
nao
未承認 2024.08.28-04:38 このコメントを編集する
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