その当時の僕は
自分の思うようになる人
若しくはおとなしい何も問題のない人を軽度と言い
自分の思うようにならない人
若しくは問題のある人を重度と言っていました
そして自分の想い通りになる人
自分の言うことを聞いてくれる人
静かに一日黙って座ってくれている人
自分がやってもらいたい役割を気持よくやってくれる人
そもそも帰るなどと言わない人等々
つまり自分が安心してみれるかみれないかの違いで
問題があるかないかを決めていました
グループホームって
振り返ると
これまでの経験の意識変革と世間からの偏見とスティグマからの解放の象徴だったと僕は思います
ある意味
革命といってもいい
彼らの多くは
その環境や偏見との狭間で足掻きもがいて
その不適切な環境と偏見と関わりと戦っていました
もちろん
かかわり手である僕たちも同じでした
そのことに
気づき始めた人たちは
生活環境や支援の仕組みや在り方を見直し
生活をベースに認知機能の低下を支えていく仕組みを考えました
それがグループホームの始まりでした
彼らが過ごしやすい環境(住まい)をベースに関わり方を創っていきました
しかし
最近のグループホームの現状は
グループホームができる前の
過去の経験と様々な偏見やスティグマのある時代へと逆行しているような気もしています
もしかしたら
そもそも未だそこから抜け出してなかったんじゃないのか?と思うくらいです
僕たちがいろんな言い訳を作っては
生活の支援を諦めているような気がします
冷静に彼らに起こっていることを観ると
彼らに起こっている認知機能が低下してゆく線(糸)と
さらに生きていることで起こりうる様々な要因という点との狭間で
線(糸)が切れたり絡みあったりして
自分では繋げられないほどの切れ方だったり
自分では解せないほどのダマになったりと
もはや自分の力では・・・
そこに今まで通りにいかない歯痒さと苛立ちという感情の点が加わり
さらに複雑になる
僕たちの仕事は
その複雑に絡み合ったり切れてしまった線(糸)を
日常の生活の中で
少しづつ一緒にほぐし解いたり紡いでいくこと
僕たちには沢山の「生きてゆく」という線(糸)があって
その線(糸)は
複雑に交差し合い
うまく繋がっている
時に僕たちにも
線と線とが絡んでしまうことがある
自分一人ではどうしようもなくなった時
誰かがそばにいて
その線を解く手伝いをしてくれたり
自分で解けるように導いてくれたり
それだけで僕は嬉しいし
ホッとするし
直接解いてくれるわけではないけど
そばにいて励ましてくれるだけでも
有難いと思います
そんな関係が築けたらいいなぁと思います
グループホームは
それができる場所であり
グループホームの利点を最大限に発揮できれば
こんな素晴らしい場所(住まい)はありません
そんな場であることを
病気で一人ではなかなかうまく繋げられなくなっている「生きる」という点の連続を「生きてゆく」という線(糸)に共に繋げてゆくために生まれてきた仕組みとして
僕はこの仕事に誇りを持って挑んでいきます
nao