昔、グループホームの取り組みの際の夜勤をしていた頃、夜中に寝巻(浴衣)に腹巻姿でポーチを斜めがけにして起きてくるお婆さんがいました。
僕は「またか」とため息をついていました。
そのお婆さんは、僕を見かけると「仕事行ってくるから」と少し投げやりに言います。僕が「これから仕事ですか?」と改めて問い返すと「はい!」と強めに返事をします。さらに追い討ちをかけるように、「これから仕事って大変ですね」と声をかけると「バスガイドは大変なのよ!朝早くて!」と少し怒ったように答えてくれます。
そうなんです。彼女の仕事は「バスガイド」なんです。毎晩ではありませんが、今思うと多分何か不安な時に、ふとその時に戻るかのように、その時代に存在します。
僕は少し焦ったように「すみません。そう言えば、先程今日バスがストだという連絡が入っていて、伝えるように言われていて、伝えるのを忘れていました。すみません、僕のせいで、遅くなりました。すみません」と、今日運行のバスがストになったことと報告が遅れたことの謝罪を少し大袈裟に繰り返し謝ると「なんで早く言わないのさ!今度からちゃんとして下さいね。わかりました!」と、部屋へ向きを変えて戻って行くのです。また、少し経つと同じようなことが繰り返され、明け方には落ち着き少し横になり朝を迎えることになるのです。
僕に出来たことは、そこに存在して応じることしかありませんでした。
今であれば、日常生活で起きる様々な不安を引き起こす要因や誘引が紡ぎ出す何かを探り、そのことを生活をベースに共に整えていくのと同時に彼女の存在価値が高まるように支えることができますが、その時はその時に起きる彼女たちの世界を知ろう、解ろうとするのが精一杯で、何か専門的な支援などとは程遠く、彼女たちのその瞬間の時代に存在することしか出来ませんでした。
その不安と一緒に居る、そして僕らに出来ることは、朝を迎えた時に「おはよう」と何事もなかったかのように、笑って挨拶をすることしかないようです。
共に不安な一夜を過ごした後のご褒美でしょうか。
人が人と人との間で出来る最高のことだと今も思っています。