ここ数日思ったことは
支援する者、支援される者
支援したい者、支援されたい者
そして
支援されたくない者
こういう時は、色々な想いが交錯しますね
厚真の「グループホームえがおの家」に、最初に状況を伺いにいった時の事でした
理事長と僕が外で話をしていると
お爺さんと職員さんが、車椅子にポリタンクを数本乗せ、その車椅子をお爺さんが押して、どこかへ出かけようとしていました
理事長「まだじゃないかい?」
スタッフ「早めに行ってきます」
お爺さん「(笑)」
理事長「まっいいか」
理事長と僕「行ってらっしゃい。お願いします」
と、テクテクと給水所に出かけて行きました
地震が起きて、2日後の光景でした。すでに、不自由な生活に順応しようと、入居者の方と共に生活を組み立て、適応していこうとする姿に人間の逞しさを感じました。お爺さんは、常にニコニコ顔でいい顔に見えました
人間の生活には、生きてゆくために何かしらすることがあって、出来れば主体的に出来ることであればいいのですが、彼らの弱さはそこにあって、そこを職員さんが支援して、その方の主体性を引き出している
そんな何気ない光景でしたが、とても印象に残っています
時に、支援しているつもりが、その関係が逆になって支援されている、「するされるの関係」を超越した関係になってゆくんだろうと感じました
支援とは、必要なことを、必要なときに、必要な分だけ行うことだとすると、僕たちの普段の生活の支援はどうだろうと考える数日間であり、時間にもなり
その時のお爺さんの「想い」はどうだったんだろうと思いに耽ました
Naoto