すべては生きている
知れば知るほど知った世界の知らないことのほうが超えてゆく
解れば解るほど解った世界の解らないことのほうが超えてゆく
人間とはなんて無為なのだろう
自然に、若しくは自然体に、この身を委ね預けるしかないと考えるに至った
策を講じれば講じるほど策を講じなければならない、終わりのない策の講じ合い
自然の営みにこの身を委ねる時が来たようだ
自然と放任は違う
僕の会社(ホーム)は自然の域に達して来ていると感じている
周りからよく言われたことのひとつに
質問は
「会社(ホーム)にいることあるんですか?」
答えは
「いますよ」
この問いには
「あなたが物理的に留守が多いと、職場や施設の運営に目が行き届かないから質が悪くなるのでは?」
と
さらにその前提にあるのは、妬みと嫉みという隠れた意味も含んでいるらしい
でも、そんなの関係ない
僕はいつもそこ(ホーム)にいます、実態としてではなく、思想として、理念として、考えとして、言葉として、空気として、形のない何かとして
僕の役目は、この仕事のビジョンを明確にあらゆる手段や手法を用いて発信すること
そうすることで彼らは力を発揮し、自分の目標や目的を明確にすることができる人が会社(ホーム)を動かしている
その大前提が
「絶大なる信頼」に他ならない
見返りも、損得勘定もない「信頼」の二文字
僕が信頼するだけでいい
彼らは信頼してもしなくてもいい
つまり僕は信頼されなくてもいいという前提がある
目指して来たのは「自然」であり、「放任」ではない
彼らは「自然」に会社(ホーム)という生態系を創り出し、その中であらゆる多様性の創造(クリエイト)を可能にしている
その生態系を少しずつ広げてきたし、これからもその宇宙の広がりを隠さないだろう
凄い自然なことだと思う
会社(ホーム)が生きていると感じた
Naoto