為すべきことを今すぐ為せ
長いです^ ^(笑)
昨日、Amazonのプライムビデオで「沈黙」という映画を観ました
江戸時代の切支丹の迫害を描いた映画です
「為すべきことを今すぐ為せ」
最後の晩餐にイエスがユダに言った言葉だと知りました
私はキリスト教徒ではありませんが、その言葉を聞いた時の自分の中の勝手な解釈でゆるされるのなら
「自分が正しいと思ったことをしなさい」と言われているような気がしました
「為すべきことを今すぐ為せ」
これは僕の事業所の話ですが
伊達市で初めてのグループホームアウルを立ち上げ、その翌年、伊達市で初めての認知症対応型のデイサービス、その翌年、登別市で始めてのグループホーム、アウル登別館、その翌年、伊達市で初めての高齢者向けの賃貸アパート、安心ハウスグランデージ北湘南の管理とレストランの委託を受け、そして、一昨年の暮れに、安心ハウスの委託を終了し、伊達市で初めてのサービス付高齢者向け住宅アウルと小規模多機能型居宅介護アウルを立ち上げてきました
いづれも、その地では初めての試みの事業ばかりでした
すべてが初めての事業でしたから運営の安定までには、やはりそれなりにかかりましたが、だいたい3年程度の時間の経過は必要だったようです
私の経験上で言うならば、その後、それぞれにだいたい3年周期で様々な正念場が訪れていたようです
ただ、3年周期で起こったとしても、それはいい状態になるための揺り戻しだったと、今は思えます
とても不思議なことですが、その揺り戻しは、何度も何度も、そこに居住まう人たち(スタッフも含めて)が心地いい状態になるまで続くのです
これはあくまでも結果の話です
事業を立ち上げて18年目に入りましたが、人的なことで言いますと、管理者も含めて、ほとんどが入れ替わりました
伊達のアウルのオープンスタッフは、私を含めて2人、登別は、管理者ひとりだけになりました
どんなに計画を立て、研修をやろうが、優秀な管理者、優秀?な社長がいようが、たいした変わらないようです
その場の揺り戻しの主たる要因や誘引は、自分の正しさだけの主張と、相手の非難に明け暮れる日々が多かったように、私には感じます
いわゆる人間関係です
しかし、3年を過ぎる頃には変化が起こり、3年もあ〜だ、こ〜だと同じ釜の飯を食っていると、自分の正しさだけの主張と非難ばかりではうまくいかなことに気づき出します
その目指す方向を、利用者、入居者の心地よい暮らしとは何かに標準を合わせてゆくと、単純に自分の正しさや、間違い探しではなく、純粋に自分との「違い」だけだったと気づき、同時に向いている方向は同じであると気づけていきます
つまり「違い」を認め合い、他を受け入れ、気づきだしたチームは、その「違い」を補おうとそれぞれ主体的に、自ら考え行動するようになり、そこからさらに成熟し始めます
そうなると、最強のチームが出来上がるのです
今、新規事業が始まり、実質2年目に突入しましたが、今、正念場を迎えています
経験上、事業の安定までは、3年はかかるという意味においては想定内でしたので、今、様々に起きている正念場は理解できます
さて、私たちは、この場をどう乗り切るのか
ただ、どんな場が訪れようが、潰れかけようが、決して譲れないことは、私たちの仕事は、私たちの地域で生活する住民が、人間らしく心地よく暮らしが営めるように応援することなので、どのような場が起きようが、まったくブレません
今まさにこの
「為すべきことを今すぐ為せ」
が、日々の暮らしの中の映画観賞で、私へ届いたと私が意識したということは、今、この場における、いわゆる神様の啓示(メッセージ)だなと素直に感じました
長くなりましたが、今の私の想いを綴らせてもらいました
最後まで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m
Naoto