最近、気になるコマーシャルがあります。
大リーグで活躍されているイチローさんが出られているコマーシャルです。内容は、ある町の模型がありまして、その模型の周りには沢山の子ども達が囲んでいます。イチローさんはその子ども達に語りかけます。
そこの町に暮らす高齢の方(おばあさん)がいつも買い物をしている馴染みのお店がなんらかの理由で閉店となりました。そこで、おばあさんは隣町のお店まで買い物に行かなくてはいけなくなりました。おばあさんは、両手に一杯になった買い物袋をぶら下げて、大変な思いをして自宅まで帰ってきました。そこへ、町(行政)と通信会社のコラボレーションで、電話か何かで買いたい物を注文をする仕組み(システム)を開発し、そのシステムを使うことになりました。おばあさんは大変楽になり喜びました。めでたし、めでたし・・・となる訳です。
別にイチローさんがどうのこうの、通信会社がどうのこうの、行政がどうのこうのと言っている訳ではないのです。誰も悪くはないし、皆さん真剣にこのおばあさんの事を考えているのです。しかし、どうしても私には、この先のおばあさんの別な姿も見えてしまうのです。
私のシナリオで行きますと、結末が、おばあさんは歩く事がもっと大変になり、とうとう寝たきりとなってしまいました・・・となってはしまわないかということです。
その者の有する能力に応じ自立した日常生活をおくることができるように、社会の仕組みは考えられていかなくてはいけないとすれば、このおばあさんにとっては、この仕組みを利用するとしても、別な視点や捉え方でフォロー若しくは支援が必要だなと思うのです。その仕組みは、仕組みで選択することができるし、自分で買い物にも出掛ける事ができる仕組みも同時に可能になる社会にしていけるといいなと思います。
現実的に考えると、北海道の場合は限界集落の問題もあります。困難な面もあろうかとは思いますが、自宅まで届けるサービスと自宅近くまで届けるサービスとかがうまく機能するというか、うまく利用できるようになると、そのおばあさん達は、今まで通り自分の目でみて、触って、人と否応無く関わり、買い物が出来るようになるといいなぁと思いました。
昔も今も、ずっと自宅で生活できるような社会であれるように、お互いに智恵を出し合えるといいですね。
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