アウルに入居されている方の中に、「カスベの煮付け」がとても得意な方がいらっしゃいます。これが、なまらうまい。私達にできることはただ1つ。支援の全うな追求(追究)をし続けることです。グループホームは、他のサービスと全くシステムが違いますから、「カスベの煮付け」を最初から最後まで、主体的に料理することができます。次第に難しくなる変化(認知症に伴う)にも応じられるように支援を考えることができるように、グループホームという仕組みは考えられました。
そもそもグループホームは、認知機能の低下を支援する仕組みとして考えられたサービスです。生活をベースに彼らの支援を考える事で、認知機能の低下に伴う生活の不自由が緩和され、その人がその人の意思で生活が保たれるように主体的な生活が展開される場所として生まれました。
ということは、自ずと地域の中で生活しているのは当たり前。とって付けたかの様に、『地域と関わりを・・・』ではなく、そもそも地域(まち)の中に存在しているのです。今更ながら、『地域の拠点』と声だかに叫んでいるようですが、真っ当にやっていれば、すでに地域の中の拠点になっているはずです。
今しなければならないことがあるとすれば、自分たちの本来の支援の姿を思い出し、その実践を示す事、そしてその支援の本質を問い続ける事です。
私は、彼女ができるだけ長くカスベが煮付けられるように応援できればと考えています。でも、いつかそれも出来なくなる日が必ず来るでしょう。
この国は、いったいどこに向かっているのでしょう?
少しでも長く、彼女の煮付けが食べられる日々を送り続けられる国にしたいと。そして、いつか煮付けられなくなっても、煮付けられる前のカスベに触れられて、煮付けられる音や匂いが感じられて、自分では食べられなくなったとしても、自分が煮付けていた頃の自慢話を思い出し、「カスベの煮付け」をおかずに食卓を共にでき、そして最後まで生き抜くことなのでしょう。
皆さん、そんなの理想でしょうか。
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