人は誰しもが誰かと何かと繋がっています。多分それを否定する人はいないでしょう。その繋がり方は人それぞれです。最近では、スマホや携帯でフェイズブックやラインなるもので人と人とが繋がっています。ですから、直接的な人と人との繋がりが希薄になってきているとも言われています。
先日、アウルの中をぶらっと歩いていると、外をじーっと眺めている方がいらっしゃいました。声をかけずに素通りもできましたが、何か気になり声をかけてみることしました。挨拶をすると、『こんにちは』と還ってきます。『外を眺めておられましたが・・・』と少し語尾を濁しながら言うと、『いや~どうやったら家に帰れるかなって思いまして・・・』と。続けて私が『どうやったら帰れますかね』と問いかけるように言いますと、『いや~考えてみます』と少し照れくさそうに言われ、外への目線を別な方向へと向けられました。
誰しもが帰りたい。でもそれが許されない現実がそこにある。せめて、思考の中だけでも家族の誰かと家族と過ごした日々の出来事や何かと繋がっていることで、自分自身の中でバランスを保とうとしているのだと思うのです。その繋がりは、決して直接的なものでなくてもいい、間接的にまたは、思考の中だけでもいい、自分の意志や主体がそう感じていることで自分を納得させているのだと思います。
そのことを知っているのと知らないのとでは、若しくは知ろうとしているかとでは、その人への認識が大きく変わるのです。そもそも一番大変で苦しく辛い思いをしているのは誰なのか?そこを私たちは解ろうとしながら、繋がっていようとすることが大切なのだと思います。 |