北海道新聞の読者投稿に素敵な記事を見つけました。皆様にご紹介させていただきます。
『昨年の11月、グループホームで穏やかに生活していた91歳の母が2度目の脳梗塞を発症し、総合病院に緊急搬送された。
その後、私は往復2時間以上もかけて、母の見舞いを続けた。行く度に寝たきりに近づいていく母を見るのは、とても悲しく切なかった。
急性期も過ぎ、私自身の体力も考えて、通勤途中に寄れる近くの病院に転院できるようお願いした。気になっていることがあった。タカの爪ののように伸びた母の足の爪だ。新しい年が明けて早々、母は転院となった。爪はそのままに。転院して3日目、母の爪はきれいに切りそろえられていた。私はとてもうれしかった。
家族の思いとは、そういうことであり、人間の尊厳とは、そういうことであり。病院の質とは、そういうところにあると思えてならなかった。
私には、爪切りという小さな行為の中に、決して大げさではなく、全てが含まれているように感じられた。
終末が近ければ近いほど、大事なことは、高度な医療や技術ではなく、一人の人間として、どう向合ってもられるのかということではないだろうか。
近いということで希望した病院だったけれど、自分の選択にまちがいはなかったと満足している。』
最後に、一句詠まれていた。
『寝たきりの 母の爪切り 人として ここに居るよと 生きているよと』 |