もし あなたが誰かに期待した
ほほえみが得られなかったら
不愉快になる代わりに
あなたの方から
ほほえみかけてごらんなさい
実際ほほえみをわすれた
その人ほど
あなたからの それを
必要としている人は
いないのだから
最近、こころに沁みた言葉です。救われた気特ちになりました。できない自分も確かにいます。できる自分もいます。そうして、相対的に物事がすすんでいくのは仕方のないことなのだろうと思います。その彼方にあるものは、いったい何だろうと想いをめぐらす時があります。それを、人は「夢」と呼ぶのかもしれません。できることなら、嫌な思いをしたくないのが本音でしょう。だから人は「幸せ」を願うのかもしれません。アウルに住まう住民は、愛を求めています。特に家族の愛を。ご家族の方々が来られたときの、あの満面の笑みが証明しています。さらに、手紙やお孫さんの写真が届くとうれしいものです。時折、定期的に電話をかけていただける方もいらっしゃいます。そんな、ちょっとした試みが彼らの感情を豊かにしてくれるのです。私達は、決してかなうものではありません。人は皆、無条件の「ほほえみ」という愛情を求めているのでしょう。私達は、どれだけのほほえみを彼らや周囲の人達に振りまいているでしょうか。日々、絶え間なく追求が繰り返されます。自分が苦しいときこそ、人にほほえみかけられるような人になりたいです。そう順い続ける日々です。
合掌
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