人には、得意不得意というものがある。
例えば、研修案内のチラシやポスターの作成、人前での発表や語り、制度や政策づくり、議員や役人との調整、地域との上手な繋がり、入居者からの熱い支持、みんなが苦手な人からの信頼、などなど、人の数だけある。とても人を惹きつけるようなクリエイティブな感性を表現できる人もいれば、そこは苦手だけどとっても人望が厚く人の信頼を得ることが上手な人もいる。
人にはそれぞれの持ち味がある。人と同じように出来ないからといって無能な人ではない。僕は人には必ず得意なことがあると信じている。本人もそのことに気づかないで、周りから出来ない人のレッテルを貼られ生きている人もいる。それは事実ではない。
僕の仕事は、得意を見出し発揮できるように気づかせる役目だと思っている。不得意なところを一所懸命に頑張らせて、一定のボーダーラインまで引き上げようとするのは僕には出来ない。何が正しいとか間違いかではなく、自分の得意を本人が気づき、周りにも気づく機会設け、さらにその得意を引き上げて行くこと。
自分に不得意さがあっても、そのことに罪悪感や劣等感を感じないほど、その不得意を得意とする人が、結果補完している関係を創ることが、チームや組織や国づくりに役立ってゆくと考えている。
出来ないことを出来るように努力したり頑張ったりすることも大切だが、それよりも、自分の能力をさらに高めお互いを補完し合う国を創ることの方が自然の理にかなっている。その得意技を発揮できることが、その人の人生にとっての喜びとなると同時に、争いのない平和な国になると信じている。
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