よく「宮崎さんらしい」とか「宮崎さんらしくない」とか人に言われることがあります。そもそも「宮崎さんらしい」というのは、私自身や私を見ている人が、私の一側面を見て、私の過去と現在と未来を想像し照らし合わせたイメージで表現している事が多いような気がします。時に、的外れと感じるのは私だけでしょうか?「私」の理解している「私」がある種の抵抗を感じ、心の中で争いだすのです。その事が表面化すると、介護への影響や人間関係にも影響を及ぼす事になるのです。つまり、「私」若しくは「他の人」が、今見ている私と、そうではない私を比較した時、「らしい」とか「らしくない」とかの言葉が生まれるのでしょう。意識、無意識関係なく私たちは、何かと何かを比較したり、測定したりして、判断していると理解していれば、「その人らしさ」とは何かの道筋が見えてきます。私達の仕事では「その人らしさを大切に」とか「その人らしさを尊重しなさい」とか言われています。「その人」よりも「らしさ」の妄想に執り付かれている専門職、「その人らしさ」という、あたかも相手を中心に考えているかのような言葉遣いに酔いしれているだけの専門職が多いような気がします。表面上の満足よりも、その言葉を使っている「私」の理解の追求をしていくことではないでしょうか?とってもあいまいな言葉がこの世界では多く飛び交っていると感じています。そもそも「認知症の人」ではなく「認知症」と「人」、「その人らしさ」ではなく「その人」と「らしさ」をそれぞれに理解することではないでしょうか?簡単に皆が使っているから使っているという、上辺の言葉の羅列、その気になっている「私」に気づき、理解することなのでしょう。それぞれが「自分らしさ」を考える続ける事に意味があって、それが本来の学びになるのではないでしょうか。決して人の言う事を信じたり、鵜呑みにしてはいけません。最後に結論を申し上げると、「そのらしさ」とは、ほとんどが「らしさ」を思う人が見ている一つの側面から抱くイメージでしかないのです。つまり、「その人らしさ」は「その人」ではないと気づくことです。そして、その「らしさ」を打ち壊す「私」でなくてはいけないし、相手も「らしさ」を打ち壊す関係でなくてはいけないのです。それは「らしさ」を信用するなという事でもあるし、相手の全てを認め受け入れるという事の意味なのです。そう考えると最高の支援であり、人間関係だと思いませんか?「私」の中の「私」と向き合い理解することなのでしょう。ありがとうございました。
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