ずっと気になっている言葉がある「認知」である。多分前後の脈略から『認知症』の「症」をとって表現している言葉と解釈できる。特に専門職(特に高度な専門性をお持ちで、沢山沢山研修会等に参加し、認知症に関する知識と技術をお持ち?の方)に多いような気がする。でも私は気になるのである。「認知があってさ」とか、「認知って難しいよね」とか、
「認知でしょ認知」などと繰り返し使う。使うならちゃんと使ったほうがいいし、使わないなら使わないこだわりをもってもいいと思う。どうも中途半端で歯切れが悪いし、なんか馬鹿にしているような響きさえ感じる。まだ「痴呆」の方がいいかもしれないと感じてしまう。「痴呆」という言葉そのものが問題提起しているし、「痴呆症」を「認知症」という言葉に変わろう、変えようとしていた時代の方が議論の白熱があった。挙句の果てに「アルツハイマー型認知症」の事を「アルツ」と言う始末。「モルツ」じゃないんだから、「アルツ」はないだろうと思うのは私だけだろうか?なんでも短くすればいいってもんじゃないと思うのですが・・・。
ちなみに「認知」を辞書で調べてみた。
A辞書では、@事象について知ること、ないし知識をもつこと。広義には知覚を含めるが、狭義には感性に頼らずに推理・思考などに基づいて事象の高次の性質を知る過程。
B辞書では、@みとめしること。A法律上の婚姻関係以外で生まれた子の父または母が、自分の子であることをみとめ、法律上の親子関係を結ぶこと。
つまり@の事柄が脳の病によって器質的な障害を起こし、難しくなって行く過程を言うのであって、一般的には『認知』では説明がつかず、つまり専門職同士の「認知症」に対する共通のあだ名的感覚言語とでも言うものではないかと思う。専門職は一歩ではちんぷんかんぷんな言語を使いつつ、一方では認知症サポーター養成講座などで一人でも多くの住民に「認知症」の事を知ってもらおうと奮闘している。何だか人の揚げ足を取るようで嫌だが、その言葉が嫌というよりも、その言葉を使っている人たちの感覚とその言葉を使っている人たちの認知症に対する捉え方がやっぱり気になる。 |