ある資格の面接試験でも『認知』という言葉が飛び交っていた。
それだけで不合格にはしないが、心情的には不合格にしたいくらいである。
いくら何とか療法?とか、何とかの技法とか、色々と学んでいるつもりの人が多いようだが、せっかく自分の中の感性に刺激を与え、自分自身の創造力を養い『人』を支えようと研修に臨んでいる(少数かな?)にも関わらず、その研修内容を鵜呑みにし、信じて、真似事療法的な次元にいささかあきれてしまう。
挙げ句の果てに、皆が使っているからいいかな?的な言葉の表現、意味なく、理解なく上司や偉い人の言っている事を信じる信者。
 例え認知症であっても『人』である。
 『人』が認知症と言う病と闘っている姿がそこにあるだけである。だから「認知症」と向き合わなければならないというのではなく、『人』と向き合う仕事である事を忘れてはいけない。自然な事である。自然なのである。何も特別な事(認知症)ではない。何とか療法も、何とか技法も、全て行き着くところは同じである。私たちのしているあたりまえな事をしたら、あたりまえに還ってきているだけである。
 私たちのしているあたりまえな事(私たちの本文)を、特別な行為として表現して専門性と称し、評価し合うのではなく、あたりまえの裏に隠されている「究極の本質」を知り⇒体験し⇒感じて⇒気づく事にある。
 「究極の本質」とは、自然の営みの中に存在している存在たちの事を言う。それは『人間』のみならず、ありとあらゆる自然界の法則に存在する全てのものとの関係性を意味する。人間はいつからだろう、その事を忘れてしまったらしい。
 だから『死』を恐れる。自分に嘘つく事なく、自分をごまかすことなく、自分を飾らず、自分を貫こう。それが私の仕事(仕事の本質)だから・・・。
感謝

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