最近、テレビ(フジテレビ)を観ていたら
、なんと介護職に段位制の導入を検討しているという
。正直耳を疑った
。はっ?何それ?状態。「私は介護三段です」という世の中になるのか?
三段とったら給料があがるというのか?
「道」を極める者にとっての「段位」とは、「
道」を究める過程で自分自身の人間形成のひとつの目安である。
沢山の給料をもらう為でもないし、
自分自身が他者に対し優れている事を自慢するものでもない。
例え段位を取得したとしても
、日々の修練を怠れば、段位の価値は下がる。
それだけ段位制を採用している「道」の世界は
、厳しい世界なのである。
ましてや誰に段位を決めてもらうのか?この「道」を究めた人がいるとは思えない。
しかし、爺様や婆様が段位を決めてくれるのであれば大喜びである。
「あんたはこれができるし、私にやさしいから三段!」
それはそれで大喜びである。
ちなみに「介護」に「道」をつけて「介護道」とした場合の理念を考えてみた。
『介護道の理念』
介護道は介護の理法の修練による人間形成の道である
最近やっと「夜と霧」の新版を読み終えた。
第二次世界大戦時、
ポーランドのアウシュビッツのユダヤ人収容所での経験を
、精神科医である著者が生々しく綴った名著である。
その本の中にこう書いてある。
『わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ』
どれだけ、人は人を評価し決定付けたら気が済むのだろう。
いつになったら他人を裁く事がない世の中になるのだろう。 |