時に私たちは悲しみや苦しみを経験します。一所懸命にそのことを克服しようと
、ありとあらゆる策や手立てを講じます。
しかしいっこうにそれは止みません。何故なのでしょう?
思い返すと、認知症の状態にある方々と一緒に生活を共にしだしてから、かれこれ20年を過ぎました。その20年経った今、こう思えるようになりました。
それは、それを克服するのではなくて、それと共に留まることはできるという事です。
それとわかろうとすることはできるのです。決してそれを言語化したり、合理化したり、そこから逃げ出したり、それを超越しようとしたりせずに、私の思考がすべての運動なしに、それと共に留まるということなのです。
難しいでしょうか?
悲しみや苦しみが現にあるとき、一切の思考を少しも介入させずに、それと留まっているとき、つまり私そのものがそっくり悲しみや苦しみであり、「私」が悲しみや苦しみを克服しようとしていないとき、私は悲しみそのものとなるのです。
そしてそれがそっくり全部出るとき、それは消え去るのです。私と悲しみや苦しみが別々で
断片化しているときにのみ、苦痛があるのです。
彼らや私たちにとって今大切なのは
「認知症ケア」ではなく 『存在のケア』なのです
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