昭和63年7月1日、私は初めて「仕事」として、この福祉の業界に足を踏み入れました。
「仕事として」と述べたのは、前々職の時に、特養に関わった経験があるからです。私は前々職「結婚式場」のスタッフとして営業やサービスの現場で仕事をしていました。実際に老人ホームで生活している方々と会ったのは、特養の行事(お誕生会)に、結婚式場のスタッフとしてケータリングサービスと特養のスタッフにサービス教育を行うため、テーブルのセット、料理のサービスなど、サービス全般の仕方を、特養の入居者(利用者)への実際にサービスをすることを通して、伝えるという仕事をいただいたのがきっかけでした。
初めて「認知症」と「その当事者の人」に会い関わりました。当時は「認知症」ではなく「痴呆」と言っていました。また、その状態にある人を総称して「痴呆性高齢者」と称していました。その名残は今でも続いており「認知症高齢者」と一般意的には表現されています。
「痴呆」が「認知症」に置き換わったのです。
しかし、「痴呆」が「認知症」に呼称が代わっただけでも、この国では大きな変化です。私が携わった20数年間、世の中も大きく変わりましたが、私自身の思考や言葉や行為も大きく変化していきました。いつの頃からか「認知症高齢者」とは使わなくなっていました。それは多分、人間の持つ本質に触れる機会を持つ事ができたからだと思います。人間の持つ本質とは、喜怒哀楽そのものです。「痴呆」と言われていた時代、とても「恐ろしい病気」という認識を強く思いました。そして、「厄介な事をする人」「問題な老人」という意識と感情で彼らのことを総体的に捉えて「痴呆性高齢者」と一括りで見ていました。少なくとも当時の私は、そのような感覚で見ていたのは間違いありません。
(次回につづく)
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