(前号からのつづき)
ある日の事でした。Aさん(男性)が、特別養護老人ホームの広いホールに置いてあった、リハビリ用のルームウォーカーの黒いゴムの部分に顔を押し付け「おーい!おーい!大丈夫かー!おーい!」と叫んでいました。それは、それは、大きな声で叫んでいます。次第にエスカレートしていくと、そのルームウォーカーを叩きながら「おーい!おーい!」泣き叫ぶようになります。端から見れば気が狂ったかのように思われても仕方ありません。そして、あたかもそこに穴があるかのように、黒いゴムの部分に叫ぶのです。私たちは、声をかけ、彼の両脇をかかえ持ち、ルームウォーカーから引き離し、男性スタッフ2名で、彼を引きずるかのように、彼の部屋へと連れて行くしかありませんでした。その後の彼は興奮し、消灯台を持ち上げたり、叩いたり、感情をストレートに出して訴えていました。私の心の声は「厄介な爺さんだな」「痴呆って怖い病気だな」でした。寮父(夫)になりたての私は、同僚に「なんであのじい様は、あんなことするんですかね」と尋ねると「痴呆だからね」が唯一の答えでした。その答えに私自身も納得していました。でもひとつだけ知りたい事がありました。それは「この人はどう生きてきたんだろうか?」でした。思った事は即行動する私は、寮母室に行き、彼のフェイスシートに目を通しました。そして、生活歴の項目に目をやると、そこの仕事の欄には「炭坑夫」と書いてありました。ここまできて、読者の多くの方は「あ〜そうだったのか!」とうなずき、彼の行動に合点がいった人が多くいるでしょう。講演会でこの話をすると、多くの人が「炭坑夫」のところで、「あ〜」と納得したような表情をされます。そのことはとても素敵なことでもあり、うれしいことなのです。今のこの国の「認知症」に対する意識の質が高い証拠です。
(次号につづく)
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