(前号からのつづき)
 これだけ認知症に対する捉え方や認識や支援のあり方が変わっている時代からすると、今思えば、彼がルームウォーカーを覗き込み大きな声で叫んでいた行為の意味と理由がわかる若しくはわかろうとする事ができるということです。つまり、彼が炭坑夫だった時に、もしかしたら落盤事故を経験し、自分の命は助かり、自分の仲間達が彼の目の前で死んでいったとしたらどうだろうか?そのことを自分自身の中で、何とか解決しよう若しくは忘れようとしても、なかなか今でいうトラウマとなり、「認知症」になる前は、何とか触れずに済んでいたとしたら。そして、全ての防御された枠が、「認知症」である事でとっぱらわれ、本当の素の自分と向き合う事になったとすれば、脳が壊れていく様でその穴の環境に近く、黒くあたかもぽかんと空いた穴のように彼に見えたとしたら、そして、それを機に当時の記憶若しくは感情が蘇ってきたとしたらどうだろうか?「認知症」であることが、とってもシンプルで繊細で本質的な人間の姿と捉えることができたらと考えるのです。そう考える若しくは捉える事ができたならば、彼の思考や言葉や行為、行動を理解することができるのです。つまり、その当時、その理由はと尋ねられた時の答え「痴呆だから」ではなく、その当時解決できなかった出来事や感情が、その環境や道具がきっかけで起こったと、そして「そうか、そうか」と「私は爺様にはなれないけれども、爺様は今とてつもなく辛いんだな」「そうか、そうか」とわかろうとする姿として私はそこに居れると思うのです。
(次号につづく)
感謝

Copyright(C) 2003 good-life co.,Ltd. All Rights Reserved