(前号からのつづき)
当時、そのほとんどが「痴呆性高齢者」、「厄介な人」、「問題老人」として扱われていた人たちが、そうではない捉え方をする人たちに囲まれてそこに存在する事ができることができたならば、こんな素敵なことはありませんし、人間というその存在価値そのものを認め、互いに生きる関係を築けると思います。
私は「認知症」になったことがありません。ですから、「認知症」がくっついてしまった人の気持ちはわかりません。どう考えてもわかりませんし、ましてや相手の人に立場や気持ちになって考えなさい等と言われても、相手の立場にはなれないし、相手の気持ちにもなれません。でも、私には出来る事がひとつだけあります。それは、相手のことをわかろうとすることです。それはできます。わかろうとするこの思考と言葉と行為そのものが、私たちの支援の本質なのです。有難いことに、そのような環境に居続ける事ができて、様々な人たちの感情と私自身の感情と相互に居ることができただのです。それが今でも続いています。自ら切り開いたという感覚ではなく、ただ、そのような思考と言葉と行動をとってきたのは間違いないようです。そして今そのことを確信しています。
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