Yさん(97歳)が入居され早や、ひと月がすぎた。
日々の生活にも慣れ、思いがけない出会いがあった。
3軒むこう隣りのFさん(92歳)である。
太平洋戦争前、YさんもFさんも樺太に住んでいた。
当時、樺太(現サハリン)の北緯50度以南が日本領。
その国境近くの町、敷香(しすか)に住んでいたという。
一方、Yさんは、間宮海峡に面する製紙と炭礦の町、
恵須取(えすとる)に住んでいた。同郷の人である。
当時の樺太は、ニシンをはじめ魚介類も豊富で「幸の島」と
いわれるほど豊かな島であったとYさんは回想する。
フレップ(灌木の赤い実)やトリップ(黒い実)を摘みに
よく出かけたのも懐かしい思い出のひとつ。
昭和20年8月、ソ連軍の突然の侵攻により40万人を超える
邦人は、その後、苦難の引揚げを余儀なくされた。
それから70余星霜、二人はアウルで出会った・・・。
記憶の糸をたどりながらFさんとの話は尽きない。
そんな折り、詩人北原白秋の著「フレップ・トリップ」を
お見せした。
「心は安く、気はかろし
揺れ揺れ、帆綱よ、空高く・・・・」
大正14年(1925年)8月 北原白秋は、高麗丸にて横浜を
出帆、小樽を経て樺太周遊の途についた。
国境の町、安別、恵須取、真岡、豊原、大泊、敷香と巡遊し
海豹島にも足をのばし紀行記「フレップ・トリップ」を著した。
「心は安く、気はかろし
揺れ揺れ、帆綱よ、空高く・・・・」
詩人の豊かな感性と躍動感あふれる紀行文を読みYさんの
記憶はより鮮明に想い起される。
歴史のうねりを経てアウルで出あった二人。
Fさんを見るYさんの目はいつもやさしく笑っている。
地図:「フレップの島遠く」より引用
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