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望郷

2019年06月20日 | 未分類

ファイル 2356-1.jpgファイル 2356-2.pdf

 Yさん(97歳)が入居され早や、ひと月がすぎた。
日々の生活にも慣れ、思いがけない出会いがあった。
 3軒むこう隣りのFさん(92歳)である。

 太平洋戦争前、YさんもFさんも樺太に住んでいた。
 当時、樺太(現サハリン)の北緯50度以南が日本領。
 その国境近くの町、敷香(しすか)に住んでいたという。
 一方、Yさんは、間宮海峡に面する製紙と炭礦の町、
恵須取(えすとる)に住んでいた。同郷の人である。
 当時の樺太は、ニシンをはじめ魚介類も豊富で「幸の島」と
いわれるほど豊かな島であったとYさんは回想する。
 フレップ(灌木の赤い実)やトリップ(黒い実)を摘みに
よく出かけたのも懐かしい思い出のひとつ。

 昭和20年8月、ソ連軍の突然の侵攻により40万人を超える
邦人は、その後、苦難の引揚げを余儀なくされた。
 それから70余星霜、二人はアウルで出会った・・・。
 記憶の糸をたどりながらFさんとの話は尽きない。
 そんな折り、詩人北原白秋の著「フレップ・トリップ」を
お見せした。
 「心は安く、気はかろし
 揺れ揺れ、帆綱よ、空高く・・・・」
 大正14年(1925年)8月 北原白秋は、高麗丸にて横浜を
出帆、小樽を経て樺太周遊の途についた。
 国境の町、安別、恵須取、真岡、豊原、大泊、敷香と巡遊し
海豹島にも足をのばし紀行記「フレップ・トリップ」を著した。
 「心は安く、気はかろし
 揺れ揺れ、帆綱よ、空高く・・・・」

 詩人の豊かな感性と躍動感あふれる紀行文を読みYさんの
記憶はより鮮明に想い起される。
 歴史のうねりを経てアウルで出あった二人。
 Fさんを見るYさんの目はいつもやさしく笑っている。 

               地図:「フレップの島遠く」より引用
     グループホームアウル 登別館

22:29 | 記事 nao