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昭和の声

2019年08月19日 | 未分類

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  元号も「令和」に替わり早や三月が過ぎ、「昭和」も
 遠のいた感じ。
  うだるような暑さが続いたある朝。
  海ユニットからNさん姉妹がやってきた。
  風が抜ける涼しい一角に6名が集う。
  大正生れのIさんに昭和ヒトケタ世代が続く。
  早速、Aさんに特集記事を読んで頂いた。
  平成31年1月12日付け特集ワイドだ。(毎日)

  全国の滝や樹木の写真集を世に出してきたエッセイ
 ストの永瀬 嘉平さん、昭和の偉人たちの何気ない
 一言が昭和の香りというべきか、妙に生々しく温かみ
 とユーモアにあふれ、今なお心に留まっているという。
  いくつか紹介したい。
 ○芸術家の岡本太郎さん、1970年大阪万博のため作った
 太陽の塔に話が移ると、「万博?必要なかったね。だか ら思いっきり変なものこしらえたんだ」と。
 ○流行歌「高校三年生」や「東京のバスガール」・「高原
 列車はいく」などの作詞で知られる丘灯至夫さん、「乗 りものの丘さん」と呼ばれていた。地べたに足がついて いないものなんかに乗れますか?と、生涯、飛行機に乗 らなかったという。
 そして「良い詩が生まれるときは決まってトイレの中。
  アンモニアの臭いがなければだめなんだ」という。
 ○アイヌ文化研究者の菅野茂さん、北海道二風谷の自宅で
 こう話した。「アイヌの伝統的な品々も学者たちが「研 究するから」と持ち出して、ただの一つも戻ってきませ んでした」。
  それでもアイヌは、暴力的にならなかった。
  そこまで話すと雪がこんこんと降ってきた。永瀬さん が外に目を向けると、菅野さんはこう言葉をかけた。
 「そこの木の上にアイヌ・ラックル(神)がいます。
 いつも見ているのでアイヌは悪いことをしません」と。
 いずれも含蓄に富む話で、時代がにおう昭和の声に触れ た。
  Aさんありがとう。

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22:47 | 記事 nao