元号も「令和」に替わり早や三月が過ぎ、「昭和」も
遠のいた感じ。
うだるような暑さが続いたある朝。
海ユニットからNさん姉妹がやってきた。
風が抜ける涼しい一角に6名が集う。
大正生れのIさんに昭和ヒトケタ世代が続く。
早速、Aさんに特集記事を読んで頂いた。
平成31年1月12日付け特集ワイドだ。(毎日)
全国の滝や樹木の写真集を世に出してきたエッセイ
ストの永瀬 嘉平さん、昭和の偉人たちの何気ない
一言が昭和の香りというべきか、妙に生々しく温かみ
とユーモアにあふれ、今なお心に留まっているという。
いくつか紹介したい。
○芸術家の岡本太郎さん、1970年大阪万博のため作った
太陽の塔に話が移ると、「万博?必要なかったね。だか ら思いっきり変なものこしらえたんだ」と。
○流行歌「高校三年生」や「東京のバスガール」・「高原
列車はいく」などの作詞で知られる丘灯至夫さん、「乗 りものの丘さん」と呼ばれていた。地べたに足がついて いないものなんかに乗れますか?と、生涯、飛行機に乗 らなかったという。
そして「良い詩が生まれるときは決まってトイレの中。
アンモニアの臭いがなければだめなんだ」という。
○アイヌ文化研究者の菅野茂さん、北海道二風谷の自宅で
こう話した。「アイヌの伝統的な品々も学者たちが「研 究するから」と持ち出して、ただの一つも戻ってきませ んでした」。
それでもアイヌは、暴力的にならなかった。
そこまで話すと雪がこんこんと降ってきた。永瀬さん が外に目を向けると、菅野さんはこう言葉をかけた。
「そこの木の上にアイヌ・ラックル(神)がいます。
いつも見ているのでアイヌは悪いことをしません」と。
いずれも含蓄に富む話で、時代がにおう昭和の声に触れ た。
Aさんありがとう。
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