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『支離滅裂なカミングアウト』

2016年10月10日 | 未分類

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以外と僕は書くことが好きなようだ

自分が考えていることを

活字に置き換えることが好きなようである

だから基本的にブログとかフェイスブックとかに書くことが好きだということが

最近わかった

書くと言うことにおいてはだ

それは

本当にこのことは好きなことか?

と、あえて自分に問うようにしているからだろう

ただ厄介なことがある

それは読み手の反応を勝手に読んでしまうことだ

多分それは異常ではないかとさえ感じる

しかしこのことが僕にとっては

壮大なコントの始まりとなる

ちなみにコントとは

僕の思考の中で起こる、ありもしない壮絶な物語、ストーリーの事を言う

これがまたとんでもない展開を見せる

そうして僕の心と行動までもを支配してしまうのだ

それがあたかも現実に進行しているかのようにだ

そうした一連の流れや

実はありもしないコントなんだと言うことがわかってからは

いたって冷静に自分の創造するコントを楽しむことができるようになったのだ

具体的なコントの例をあげるとこうだ

何か会社の人の仕事のやり方や揉め事のようなことが起こったとする

すると僕に対する他の人の意見や言動や振る舞いや態度が気になりだす

つまり僕に対する周囲のレッテルが気になりだすのだ

「お前は、社長として何をして来たんだ?」

「認知症のことをいいだけ話しているのにお前に現場はうまく行ってないんじゃないか?」

「やっぱりお前は大したことないやつだな」

などなどエトセトラエトセトラである

そのことが僕の脳を支配する

支配された脳は

僕の心を支配しだす

支配された脳と心は

僕の体を支配しようと企みだすのだ

途中で

これではいけない

そんなことはない

そんなはずはない

そんなこと起こるはずがない

などど

思考が行ったり来たり七転八倒を繰り返すのだ

これは経験しないとわからない

挙げ句の果てに

支配された体は

脳と心のままに行動し

自分の本当の気持ちとは裏腹な行動を起こしてしまうのだ

全ては僕の「気のせい」なのだ

その気のせいを感じたくなくて

フェイスブックを止めた

実はやめたと言う表現は正しくはない

本当はやめていない

友達の制限をかけて僕のFacebookは存在する

幼馴染みの友達だけの範囲でやり取りをしている

仕事上の仲間とFacebookで繋がるのをやめたのは事実だ

もっと言うと

他の人の投稿に嫉妬する自分がいたからだ

そう言う醜い自分がいたからだ

そう言う自分を見たくなかったからだ

自分に注目してほしい

自分のやっていることを認めてほしい

もっと「いいね」がほしい

なんでこの人「いいね」くれないんだろう

それは何か俺に問題があるからか?

あの言動が原因なのか?

そもそも俺は嫌われているのか?

などなどエトセトラエトセトラ

そんな感じでコントが始まるのだ

実に面白い

こんなことが以前の僕に起きていたのだ

しかしそんなことをしていても

根本的な解決にはならないなぁと考えていたら

そんな僕もあっていいんじゃね

全てがうまくなんてあり得ないし

もっと言うと

僕の魂のレベルでは

このことを経験する人生だとすると

僕に周りにいる人たちは

僕が生まれる前に

打ち合わせ済みの僕の体験したいことだとすると

僕の人生における起きていた経験の全てが

そしてこれから起こるであろうことも

今起こっていることも

全てが意味あるものになる

だから

「いいね」や人の評価を気にすることも

僕の経験することなのだ

なぁ〜んだ

それだったらいいんじゃね‼️

と楽しめるようになれたのだ

どうだ‼️

凄いだろう‼️

皆さんは私の言っていることを支離滅裂と思うかな?

nao

07:57 | 記事 nao [コメント:0]

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