僕にある、先入観、固定観念が、先入観、固定観念というフィルターを通してみている
つまり僕のみえる世界は僕の知っている世界を通してみてるってわけね
まっさらな若しくは真っ白ななんにも影響されない客観性などどこにもないと感じるんだ
結論は
全てはみている人間の主観であるってね
全てがそうなんだ
世界ってそうやってそれぞれの主観を織り成して出来ている
そもそもアセスメントしてみんなでカンファレンスしてケアプランをつくるなんて
僕の本心としては心を閉ざしてしまう連続した出来事のひとつなんだけれども
法令遵守だからやるではあまりにもバカなので、だったら道具や仕組みに工夫をする事で僕たちの主観が育まれるように仕掛けようと思ったんだ
そうやって知らないうちに限りなく客観的(絶対に無理だけど)なものの見方や捉え方が高まるといいなと思ったんだ
だから道具や仕組みは大事だよ
アウルは記録の道具や記録の仕方の仕組みを工夫する事で、必然的に生活をベースに観ることや
一人ひとりに起きている出来事や変化に気づけるようなものにしてるんだ
それを続けていくとどうなると思う?
教育とか研修とかしなくたって自然とものの見方や捉え方が備わるんだ
あとは考え方をいろんな人の出来事を通して勝手に感じてゆくんだ
そう最終的に感じることが大事で感じることを通して感性が高まってゆくんだ
そのことをず〜〜〜〜〜っとやってるんだ
彼らは自分で自分を育んでいるよ
そんでもって欲を言えば、その道具や仕組みも、自分たちで考えて創造することが出来て、使えるようになるとなお良いと思うんだ
なぁそう思わないかい
最近事例検討だとか事例発表だとか流行っているようだけれども
まさしく大勢でいろんな経験のある人たちの考えや心が織りなされるから素敵なんだと思う
ただそこに本人の考えや心がどれだけ在るかが定かじゃないし、そもそも本人がいないところでなんやかんやもなんだかなぁと思うし嫌だなぁと感じる
時には研修と際して先駆者や有名人の話を聞く
どっかの有名人の話を聞くのは、その人の真似をするわけではなくて、自分だったらどうするかなって思考や心を巡らすためなんだ
だから自分たちで出来ることはまだまだたくさんあると思うんだ
仕事ってそういうことなんだと思う
だから諦めずにやってるよ
地道にね^ ^