因は我にあり
愛は求めるものじゃなくて、すでにそこに在ることに気づくことかも。
物理的に目に見えるものではないけど、見つけるっていうか、あっ!あった〜って感じてゆくもの。
愛は求めちゃいけないって言ってるんじゃなくて、もう自分の周りにはたくさんあるんだと気づくというか、そこを感じる自分でいられるか?まずは、そこを感じようやってこと。
あっ!それもそうだねって、ここにもあったわって感じてゆくこと。
そう感じる習慣がつくとね、小さなことでも愛を感じると思うよ。例えば、今朝美味しい珈琲が飲めたとかね。愛には、大も小もなければ、そもそも愛するも愛さないもないから、そこに在るのは「愛」が存在するだけ。
せっかく色んな経験をするためにこの世に来たんだから、色々と経験して感じてあの世?に帰った方がいいよ(笑)
昨日は感じたなぁ。
たくさん感じたなぁ。
ぼくは、沢山いる人に中にいるのが苦手なんです。なんでかって言うと、多分、傲慢だから(笑)。
色んなことを感じてしまうので、自分で在り続けることが出来なくなるというか、自分で在り続けることに疲れてしまうというか、気をつかうというか、合わせてしまうというか、これ難いね、わかります?
そうなると苦しくなるのです。
でも、昨日のような気心の知れた仲間と居ると、否定もされないし、心地よくいられるから、気持ちがいいのです。と、集まる毎に感じるのです。
「あ〜お前は間違ってるよ。多くの人たちはあなたを責めたり、傷つけたり、非難したり、罵声を浴びせたり、陰口を叩いたり、うわべだけの付き合いだったり、そもそも信頼していなかったり、そんな傲慢な人たちではないよ。そもそもそう考えるお前が傲慢なのさ。その傲慢さを経験するために生まれて来たんだよ」と。
そうして仲間の存在に感謝している自分が居るのです。
ありがとう^ ^です^ ^
Naoto