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【因は我にあり(本質編)】

2018年08月21日 | 未分類

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【因は我にあり(本質編)】

すべての要因や誘因は自分の中にある。
だから、まず何よりも先に自分自身を見つめること、そして自分が変わることが大事であることを、常々伝えてきました。

付け加え

自分が変われば、相手が変わる
相手が変われば、心が変わる
心が変われば、言葉が変わる
言葉が変われば、態度が変わる
態度が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、運が変わる
運が変われば、人生が変わる

と。

しかし、この年齢(56歳)に達するまでに、様々な出来事と経験がありました。その経験を踏まえると、若干「因は我にあり」ということのニュアンスが変化していることに、苫小牧の心友と話をしていて、気がつきました。

「因は我にあり」ということ、それは、すべては「自分がはじまり」であるということです。自分を原点とするはじまり、スタートライン、起こり、つまり自分の発信を尊重するということです。

自分の最大限自分自身の本音を、出来る限り行動に移すことが、今はしっくりとおさまります。

要(かなめ)になるのは、この自分の本音です。つまり「因」です。

それは、単純に描いている夢を抱いている時の感情論ではなくて、自分が自分自身で居られる瞬間に感じる、自分の本音や前提のことを言います。

本来の自分自身で在り続けるために、自分の本音と向き合い、出来るだけ可能な限りそれを行動に移していくことで、誰かや何かの顔色に合わた、自分の本音を抑え込んだ反応ではない、素直に応じた姿で居られるかです。

自分の出来ること、つまり、自分の本音で感じた出来る限りのことがまだあるにもかかわらず、それをやらずに、文句や不平不満を言い、違和感や不快感をあらわにする人がいますが、それを、やめるということです。それが、「因は我にあり」の本質です。

つまり、「因は我にあり」の本質の根底に流れているのは、本来の自分自身に還ることでした。

そして最終的なゴールは、それぞれが心地よく、同時に心地よい関係を目指すことです^ ^

ですので、ずっとぼくが伝え続けてきた「因は我にあり」は、知らないうちに育まれていたのでした(笑)。

Naoto

07:12 | 記事 nao [コメント:0]

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