なるほどなぁ
生きているといろんな考えに触れる
あるの反対はない
ないの反対はある
好きの反対は嫌い
嫌いの反対は好き
つまりは
ないと同時にあるが存在する
好きと同時に嫌いが存在する
ないを経験するからあるの存在を感じる
その逆もまた真なり
相補性
嫌いなものの存在は、同時に存在している好きを知るためにある
そう考えるとこの世は相補性に富んだ世界だなぁと改めて感心するよ
何が本当かわからない混沌とした時を過ごしているかのような時代に思われるけれども
ただひたすら生きるという時を過ごすと、とってもシンプルな感覚を抱くことがあるんだ
自分の本当を感じるとしたら
それは、自分の中にしかない
そう、思うが
自分の外にある存在は
自分の存在を認識するための道具でもあるとも感じる
ということは
あなたという存在は
自分の存在をぼくが認識できるために在るということになる
ということは
あなたも同じようにぼくの存在をあなたがあなたという存在を確かに認識する、若しくは感じるために存在していると考えられるね
このことが全てかもしれない
その中で自分の在り方を認識してゆくこと
そこを大事にしてゆこう
Naoto