最後の日の如く今を生きる
あのですね、こればっかりは
誰にも解らんことだし、なんとも証明出来ないことなんだけど
大袈裟ですが、6年前に一度命を狙われたことがあって(笑)
プライベートも、一般的に言うたらどん底(意外と本人はスッキリ)で
それに上乗せ保存された感じで、病気になりまして
よくあることだと思っていたら、完治しない病気だとかで、次から次へと身体のヤバさが露呈されていったんです
人間、九死に一生を経験した人って、人生が変わるらしいって聞いたことあるけど
自分がそうかどうかは解らんけど
だから、その時に思ったというか、感じたのが
「俺死ぬかも」だったんです
その時、病室のベットでマジに考えてたことを思い出したんです
「まだ死にたくない」
って
昔、20代後半の頃、地元の青年会議所主催で聞いた講演と勉強会で、「名元素言葉と暗病反言葉」を教えて下さった、成田先生の一言を
『最後の日の如く今を生きろ』
って
だからそれ以来、まずは病気と上手に付き合えるようにって言うのと、ずっと生きてゆくための前提のひとつに
『最後の日の如く今を生きる』
って、永らえてきたんです(笑)
それまでは自分に嘘をついて生きてきましたから、それを隠すのに必死でしたね
命に否応無く向き合うと、必死の向け方が変わったね
「もっと自分を大事にしよう」って
そうすると
「相手も大事にしなきゃって」って
そう自然になって
自分を信じるとか、そんな難しいことじゃなくて、もっと自分の本当の気持ちというか、根っこにある気持ちを伝えようって思ったわけ
だから、毎日が正直いい意味で必死なんです
楽しいことも嬉しいことも必死なんです
哀しいことも腹が立つことも必死なんです
休日も必死、仕事も必死
だから多分、神様は真っ直ぐ感情に働きかけてくるんです
泣いたり怒ったり哀しんだり
笑ったりはしゃいだりおだったり
恥ずかしいったらありゃしない
自分で言うのもなんなんですが、なまらにクソがつくほど、それぞれにクソ真面目なんです(笑)
だから毎日が充実してるんです
疲れたら身体が教えてくれますから、その直接の声に耳を傾けます^ ^
だから大丈夫なんです^ ^多分^ ^
大丈夫じゃなくても大丈夫なんです^ ^
これを言うと奥さんに怒られますが、死んでも大丈夫なんです👌
究極、今日が最後だったらって生きてますから^ ^
東に困った人がいたら助けに行きます
西に泣いている人がいたら慰めに行きます
南に喧嘩している人がいたら話を聴きに行きます
北に死んだ人がいたら泣きに行きます
だれか昔の人(宮沢さんだっけ?)が似たようなことを言っていたようですが(笑)
ただただそんな存在でありたい
これが究極ですね
「今、俺に出来ることをする」
それだけですわ^ ^
これが俺だもの^ ^
なんか、みつをさん風になったな(爆笑)
まっ、そういうことで〜す^ ^✌️
Naoto