類は友を呼ぶ
ここ数年、事業所のスタッフや仕事上のお付き合い、プライベートのお友達や仲間の繋がりが変わってきている。
離れていく人もいれば、意識的に距離を置くようになった人もいる。逆に共に仕事をすることになった人もいれば、一度アウルを退職したのち、やはりアウルで仕事をしたいという人もいる。
そもそも「類は友を呼ぶ」という言葉は、どちらかというとネガティヴ感があった。
だがしかし(駄菓子菓子)仮説を立ててみた。
自分の周囲の人達の存在=自分の位置(レベル?)
つまり、自分の周りにいる人たちを見ると、今の自分の位置というかレベルがわかるのではないかということだ。
または、そうした考えで周囲の集まりや繋がりや出来事を捉えると、今の自分のレベルそのものとも思える。
善し悪しの問題ではないが、自分の人間関係で、そのステージが変わっていっていることに気がつく。
そう考えると、離れていった人間も、距離を置いている人間も、その後の人間関係や立場やお金の繋がりを俯瞰してみると、その人たち損得勘定や腹の内がみえてくるのでおもしろい。
何度もいうが、その人間関係に応じて、住む世界のステージが変わってゆくということになる。
この法則をシンプルに表現すると「自分を知りたきゃ、自分の繋がりをみよ」ということになる。
誰と何と繋がっているかで、自分の今がわかるということだ。
そう考えると、仕事も人生も、これからどんな世界のステージに立って創造してゆくかが、楽しみになる。
ステージが変化するのではなく、自分にとって新たな世界の人たちと共に何かを創造するステージと捉えると、もの凄くワクワクするし、納得というか、理解できる世界になる。
だから、変化に応じて思い悩んだり、自分を責めたりするのはバカらしく、今まで頑張ってきた自分を否定することになるし、かわいそうなので
今の自分の仕事や人生のステージの変化を謳歌し、どんどんと類友を引き寄せ、その人たちも自分も共に幸せになろうと思うことにしたのだ。
Naoto