虐待、不適切なケアとか
これ他人事ではないんです。
人間である以上、いつ自分がそうしてしまうかもしれないということ。
人には「べき」がある。
この「べき」が、時に強い意志と情熱を持って目標に向かう道しるべにもなるが、時にこの「べき」が、自分の考えていることとは違った方向へと導く時もある。
僕の経験した例をあげると、夜眠れないお婆さんがいました。彼女は、何度も何度も起きてきます。
すると、僕の「べき」が発令します。「夜は寝るべき」とか、「睡眠はとるべき」とか。
お婆さんが起きてくる事実とその背景に思いを巡らせたり、寄せたりせずに、僕の「べき」が発動してお婆さんを何とかして寝かせようとします。
さらに、今見えている「寝ない」という事実は、自分のケアの評価にも繋がるとしたら・・・、そう考えもします。
でも、お婆さんは寝ない(笑)
つまり、お婆さんは、お婆さんで別な「べき」を持ってる訳です。
ここで起きる現象が「べき」の戦いです。
自分の抱く「べき」とは正反対に起きる出来事に応じることができない自分との戦いが始まるんです(笑)
「睡眠は大事」「昼夜逆転になってしまう」とか、一見、お婆さんのことを思いやっているように思えますが、実は錯覚。
お婆さんを思いやっているように見せて、ただ自分の不安を解消しようとしているだけ。お婆さんを思いやるのはカモフラージュ。
僕は、こんな気持ちを沢山抱いたし、経験してきました。
ダメな介護職の典型例でしょうね。これを放置していると、不適切なケアや虐待に繋がるのでしょうね。
お婆さんにしてみたら、「寝ない」じゃなくて、「寝れない」「寝ていられない」といった感じなんでしょうね。
つまり、寝る寝ないは、結果やひとつにシグナルや状態であって、本質的な別の違った理由や訳や要因や誘引を抱いているのがほとんどでしょう。
それは、不安だと眠れない人がいるように、僕らにも同じことが起こっています。
そのお婆さんの持つ「不安」を探り、出来るだけそこに添うか、そこを解消して、別の安心や心地好さに繋げるようにする、柔らかさがあるといいなというのが、僕の結論です。
つまり、自分の「べき」を知っておくと、少し冷静に出来事に応じることが出来ると思うんです。つまり備えるということです。
人は大体自分の「べき」つまり自分の前提を優先しようと働きかけますから、理解を超えた出来事や言動が目の前で繰り返されると、少しパニックになり、嫌な気持ちになります。
人によっては腹を立て、イライラした気持ちになるでしょう。僕はそんな経験をしました。
思ったら思ったで、今度は自分を責め出して、どうしてそんな思いを抱くんだ、介護職として専門職として、抱いてはいけない感情だろ!と自分を責め出します。
これで、さらに自分を苦しめることになります。
僕らも、ひとりの人間ですが、こんな行為や言葉や関わりは虐待や不適切な行為に当てはまりますなんて、さらに研修を重ねます。
なんだか、ドンドンと介護職や専門職を追い詰めているようにも思えます。
僕の提案は、まずは、そう思ってはいけないという自分責めをやめるということです。
誰しもが、大なり小なり抱く当たり前な感情にダメ出しするのはやめて、少なくとも自分は認めようという話です。
そこから落ち着いて自分や仲間たちと語り合える関係にしてゆくことです。
どうせ研修をするのなら、誰かの虐待や不適切なケアを指摘して、検討することではなくて、これから彼らや僕たちが心地良く生きていくためには、どうしたらいいのかを考えることだと思うんです。
夜眠れずに起きてくるのはどうしてなんだろう?
どうしたら安眠できるだろう?
みんなそんな時どうしてる?
僕は、そんな時とっても焦ってどうしていいかわからなくなって、無理やり寝かせようとしちゃうんだけど、なんかいい関わり方ってある?
とか、お互いに出来ないことを指摘したり、指導したりするのではなくて、語り合う関係を築けるといいなと思っています。
このお婆さんにとって良質なCAREとケアは何かを最優先に、考えることの出来る研修というか、職場創りにした方がいいと思います。
その仕組みをどうやって創造(クリエイト)してゆくか、そして、その仕組みをどうやって動かし生かすかをみんなで考えるワークをするとか、そんなことをやってみたなと考えています。
夜眠れずに起きてくるお婆さん
僕は、アウルのスタッフに、そんな時どうしてる?って聞いた事があります。
すると彼らは
「なんか心配な事でもあったんだと思いますよ。そんな話も聴きながら牛乳でも温めて飲みますか?って聞いて、出して飲んでもらってます。したら、自然と眠くなるようです」って^ ^
僕は嬉しくなりましたし、彼らを誇りに思います^ ^
そんな一考察を、後志老施協の研修でお話をしてきました。
Naoto