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【他人はどうでもいい】

2019年03月04日 | 未分類

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他人のことはどうでもいい

僕の思惑通りでした。
昨日の入試、正直めちゃくちゃでした。これが今のおいらの実力なんだと思い知ったというか、自覚していましたが、今流行りの“ボーッと生きてんじゃねーぞー‼️”と、ツッコミをいれたくらいです(笑)

時の流れは残酷でした。自分の能力と向き合った、90分でした。恥も外聞もなく“ようやった”と自分を褒めてあげたいのですが、なにぶんめちゃくちゃだったので、褒めるどころか、めちゃくちゃ凹みましたし、先生方にどう思われるばかり考えて、体を小さく丸めて震えている子供のようでした。ジジィのチャレンジとしては申し分ないし、ようやったよと自分を褒めて誤魔化しました。

もう、現実を突きつけられたら、結果はどうでもいいのです。歳のせいだし、物忘れもハンパないし、もうジジィだし、そのままネガティブでいこう!って、何度も何度も言い聞かせながら、その足で出張に出かけました。

道中、ずっと悶々とした時間を過ごし、自分の心の内を探っていました。でもやり切れなくて、自分の中で何度も何度も、沸き起こってくる変な気持ちに、なんか決着をつけたくなりました。

正直に言うと、自分はたいしたことないのに、その反面周囲から凄い人と思われていると思っている。自分は凄い人なんだという思いもあるから、筆記試験に出たような問題くらい知らないなんてどう思われるだろうかとか、自分の能力の無さがバレるのが怖くて仕方がないといった感じが、気持ちとして湧き出てきてるのです。

もっと突き詰めて探ってゆくと、純粋に研究したいという想いよりは、この歳と、この立場で大学院に行くことで、周囲の人にさらに凄い人と思われたくてと思われたいという想いがありました。

つまりは、僕は、自己肯定感が低いくせに、自己顕示欲がなまら高い人間なので、この度の出来事で、改めて徹底的に自分というものの内面を思い知らされ、悟らされた感は否めません。その自覚もあります。それをあえて自分で選び取りに行ったわけです。人間って面白いですね。

結論は、自己肯定感の低さと自己顕示欲の高さのギャップが、自分を苦しめていたということです。結局のところ、両者の向いている方向は他人で、僕の中心の軸は他人軸だったということ。

僕の思惑は、もういい加減、自分軸で他人はどうでもいいし、自分がどうしたいかで決めていけばいいということを、この受験で明らかにしたかったわけです。ですから、この投稿をしました。

なんだか、今回の入試事件でまた一皮むけたような感じですわ。これ以上むけたらどないしましょ。まだまだむく皮があるような気もしないでもありませんが^ ^
あははははは(笑)

08:56 | 記事 nao [コメント:0]

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