「介護職は俳優になりなさい」何回か私も似たような事を言ったことがあった。その時の私の中にある「俳優になりなさい」とか「演じる」とかいうことの意味は、例えば認知症の状態にある方が、介護者に対して、現実とは違う人になっているとした場合、その方が描いている若しくは思っているであろう、人になりきるという意として捉えていた。しかし最近、テレビである俳優さんのお話を伺っていて感じたことがある。それは、俳優さんの役を演じるため行う『役づくり』というプロセスにヒントが隠されていた。相手(認知症の状態にある方)が見える人、思っている人に成りきることも、時と場合によっては必要だが、もうひとつの捉え方の意味が存在していることに気づいた。そこに大切な、真に僕たちの仕事に通じる共通項があった。それは『役づくり』という一種の、その役に成りきるために、気持、感情や考え方、身振りや素振りや振る舞い方、言葉やその語調や口調、役の置かれている状況や環境、病気や苦痛、家族や恋人がいればその募る想い、着るものや食べるものや生きるために使うものへの嗜好や思考、好むものやこだわりのもの、それはそれは、あげれば切りがない程、天文学的な数の事柄の繋がりや隔たり、不安と安心、絶望と希望の中で生きている生の姿を創造する力が必要なのである。
ですから『俳優になりなさい』というのは、単純に相手役を演じて本人を安心させたり、あざむいたりすることではなくて、「本人そのものになりきる」ことで、本人に起っていることを解ろうとすることだった。ということは、そのことの覚悟がなければ、やはり中途半端な支え方になってしまうし、どこまでいってもたどり着くことのない追究の姿を追求するしかないようだ。この一連の追究が、私達の永遠に終わることのない、次の世代へと繋げてゆかなければいけない崇高な姿であり、認知症の状態にある方への支援という仕事である。この業界入りしてからかれこれ27年ほどかかっているが、まだこれで満足というところまで到達していない。
(なおと)