実はそれって頻繁に起きてること
正直に何気に自分を探っていると
例えば
真剣に研修会を受けているにもかかわらず
突然か必然が偶然か何かの拍子で
楽しかった旅行のことを考え
日本か世界かどこかに自分が行っているとか
欲しくてたまらない物のことを考え出し
その物を買っている自分を想像し
その時の気分までも感じているとか
その欲しい物が食べ物だったらその味や匂いや食感までもが想像されたり、或は蘇ったりする
そんなことを日常茶飯事経験してはいないだろうか
経験的に言うと、実は当たり前な主観的な現象と言える
もっと経験的な例をあげると映画がそれである
同じ時間帯の中でいろいろな出来事がすすんでゆく
それが自分の中で起るんだ
だから安心もでき逆に不安になることもある
最近、小中学校の時の友人、大学時代の仲間や先輩や後輩たちと交流する機会がおおくなった
その時、彼らと会話をしたり、SNSでやり取りする中で思い出すことがある
その時の光景や出来事、学校の音や匂いや温度、グランドの砂埃、
この仕組みが何らかの原因で不具合を起こすと
そこをまた取り繕う(適切な言葉かどうかわからない)ことで戻れなくなるというズレを感じる
そのことが日常的に起ったり起らなかったりが続くと
そりゃぁそうでない人たちから見るとおかしな人になっちまう
でもどちらが正しいなんて言えなくて
正しいと主張することは、正しいと思っている人が創っているルールの中で考えていることなんだ
何を基準に考えるかとかでまったく世界は変わるんだ
僕たちが正しい訳じゃない
誰かが正しい訳じゃない
そもそも正しいとかなんか存在しないんだ
(みやざきなおと)