ずっと思っていたことを今日は勇気をもって言わせていただきます。
介護職の多くの方が言うのですが、お年寄りから「ありがとう」と言われることがいいという。
つまり感謝される仕事だからなのだ。もっと突っ込んでいうならば、私には豊かな思いやりの精神があり、喜んで他者を助けることで喜びが得られるからこの仕事を選びましたとか、この仕事を続けていますというのです。
しかし、それはたとえ思いやりからなされた善い行いはどんなに感謝されようが、本来の私達の仕事の本質や価値とは違うところにある単なる思いに過ぎないのではないかと思うのです。
善い行いをし、人から感謝され、そのことを喜びと感じる、それが介護職の本望であるというのは称賛や奨励に値すると思うのですが、それはそれまでなのです。
私たちの仕事は、誰かに称賛や奨励されるためにしているのではないのです。
例えば、他者を支援し感謝されたとしましょう。『ありがとう」と言われ誰もがいい気分を味わうだろうし、そのこと自体否定する何物でもありません。
だがしかし、同じことをして他者から感謝されるどころか、私たちの支援や行為を打ち砕かれるような場面に遭遇したとしたらどうなるでしょうか。私たちの気分は落ち込み、相手に対しいい思いを抱かなくなる人もいると思う。もしかしたら、自分の思いとは違う反応が返ってきたことで、逆切れし虐待行為へとはしったり、具体的な虐待行為をするとまでは行かないにしても、してしまう寸前であったり、してしまうかもしれないという感情を抱いたりとなってはいないだろうか。
つまり、私たちの仕事(介護や支援やケア)が、私たち自身に喜びをもたらすかどうかではなく、その中身を精査し、そうすることが正しいという判断と動機で仕事にあたることが大切であり、結果そのこと自体が仕事への確かな価値となることである。
決して、他者の反応で僕たちの仕事の価値を決めてはいけないと思うのです。
この仕事の価値の良し悪しは、そこにあるのではないかと考えます。ですから、もっと自分の仕事に自信と誇りを持つべきです。私たちの仕事が国民から支持されるためには、しっかりと自分の仕事の中味を精査し、見返りを求めた行いではなく、確固たるロジックを持ち、事にあたり続けることではないでしょうか。(宮崎直人)