アウル(伊達)のおばあさんが私に食べさせたくて
何日も前から準備をして作ってくれました
単純に生活の支援をするのではなく
楽しみややりがいや
時間の感覚とその継続性の維持
幾重にも断層的に重なり営んでいる記憶や行為や認識や期待などを織り込んで今を生きていることにもっと焦点をあてるべき
今日はうまくいかなかったと残念がる本人
でもうまいうまいと食べてくれる人との繋がり
誰かに食べさせようという気持ちが自分の気持ちを維持させてくれるのかもしれない
有難く一緒に目の前でいただいた
『旨かった』
nao