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『Being』

2018年06月29日 | 未分類

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人のことをなんだかんだと非難し、否定し、俗に言う悪口を言う人は、基本、自分も非難、否定されているだろうなぁと思う。しかし、この法則は、なにもネガティブなことだけではない。つまり、人のことを善く言ったり、褒めたり、賞賛したりする人は、善く言われたり、褒められたり、賞賛されたりしているということ。しかし、ぼくが言いたいことは、善く言うといいか、悪口を言わない方がいいという話ではない。自分が発信していることは、良くも悪くも必ず必ず必ず(3回も言いました)、自身に必然的に還って来ているということ。つまり、発信者は受信者にもなるということ。人間の多くは、そこに気づけていないというか感じないというか、自身の都合のいい時や場合や話の時だけ、解釈が異なる。基本、人間の記憶は700%間違っていると思っているぼくは、あまり記憶を信じないというか、どうでもいいことかもしれない。結局、人間は自分の都合のいいように、無意識の世界の中で発信している、そんな感じを感じる。例え、もうそんなことはやめた方がいいと、直接本人に伝えたとしても、基本、自分の正しさや前提が優先されるので、いつまで経っても平行線のまま。この現象の前提は、ぼくもそうですが、自分のことをわかってほしい、わかってもらいたい、認めてもらいたい、自分が可愛いし、当然自分を守りたいという表れ。どちらかが、わかったよと受け入れること、「へ〜そうなんだ」(関係性によってはこの言い方は、バカにされたと更に深みに入ってしまう場合があるので、言葉や言い方、表現には気をつけた方がいい)と言ってみることで、相手はトーンダウンし昇華するか、更に興奮して言い続けるかのどちらか。もし、治らない時は、仕方がないから氣の済むまで放っておくしかない。ただ大切なのは、自分を大切にするBeの人間で在ることかな。Beさえ盤石であれば、何も怖いことはないし、安心して不安でいられる。同じ不安でもBeが不安であれば、どんなことでも、どんな時でも安心して不安でいられない。なぜならば、Beが不安だから。ぼくのBeは大丈夫だから、ぼくのDoは安心して不安でいられる。ぼくは、それでいいと感じるし、そう選択するし、そこが一番居心地がいい。

08:40 | 記事 nao [コメント:7]