誰かや何かのせいにしていると
自分に責任や何かあったら責められなくてすむから
自分はどうあるべきかということよりも
そっちが優先してしまう
そんなのおかしいなと思い出したのが最近
過去を振り返り悔やみ苛立ち妬む
そんなのおかしい
話合いを持つと必ず今できていない事の理由探しをする
そのほとんどが誰かのせいだったり 何かのせいになる
とってつけたかのように最後に自分を卑下してへりくだり治めようとし自分を守る
そんなのおかしいと本当は気づいているのにしない
すると誰かに責任を押し付けられるから
自分がやるはめになるからと怯える
結局誰かを非難したり批判したりするやつは
人のふんどしで相撲をとっているやつである
そんなの相手にしたても仕様がない
だから僕は自分のするべきことを考え、提案し、行動を起こすことにしている
どんなに些細なことであってもだ
アウトプットすることで人は更に広がることを僕は知っている
昨日、伊達市有珠地区の老人大学の皆さんに招かれて『認知症のゆくえ』と題してお話をしてきた。
参加者は7名
老人大学なので年齢層は言うまでもない
何度か老人大学の皆さんからお誘いをいただきお邪魔するが、本当にお元気である
今更皆さんに認知症の予防とかなったらどうするとかを説いた所で役に立たないと思ったので
昨日は座談会にした
7人でテーブルを囲み語り合った
とりあえず話題の切り口は私の方で用意して皆さんに投げ掛けた
皆さんに『もし自分が認知症になったらどうして欲しいですか』と確信に迫る質問を投げ掛けた
すると『人に迷惑をかけたくないので施設に入ります』とか『最近出来たグループホームとかに行きたい』とか『家族に迷惑がかからないようにしたい』とおっしゃっていた
誰一人として自宅で生活をし続けたいと思っていても周りに迷惑をかけてしまうかもしれないし、自分が誰だかわからないくなるなんて情けないから。。。と思っている
本音は家にいたいでした
『認知症』そのものに偏見があり満ちている
僕は『認知症』という呼称その物がなくなることが望みです
もし自分の親がそうなったら
ご近所さんに『親が認知症になった』という事を言うと思います
そのことが受け入れてもらえる地域だといいなと思います
そして私や私の家族、または専門職、そして地域の皆さんがいつも私の親をみているわけにはいきませんから
もし何かの原因で死んでしまったとしても
そのことを責めませんし誰かのせいにしたり何かのせいにしたりはしません
その事自体も受け入れる私をこれからも創り続けたいと思っています
ただそのことで誰かに何かにご迷惑がかかるかもしれません
その事の方が心配になります
もしかしたらフラフラと道に出てしまい車にひかれてしまうかもしれません
その時は、ひいてしまった運転手さんに迷惑がかかるわけです
誰も好き好んでひくひとはいませんから
その時は逆に謝ります ごめんなさいです
でもそうならないように最善の手はつくすでしょう
でも人間最善を尽してもどうしようもないことが起ったりします
その覚悟だけは持ち続けることが私の責任なのだと思います
そうならないように
それぞれがどうするかを考える実行することなんでしょうね
(みやざきなおと)