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【フィナーレ】

2019年01月22日 | 未分類

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閃きは突然やってくる

“それ宮崎さんだから出来るんだよ”って言われることが
何度もあった
たまらなく悔しかった

俺だから出来る?
なんだそれ?って思った
心の中で怒ったし
なまら不愉快になった

“それあんただから出来る”って
言われた日には
ガックリときた

確かに
自分という
個性の応用があるのかもしれない

しかし
でもな〜って思った

相当自惚れていたからな(笑)

だから
誰でもできるし
そうなんだよってことを
証明したくなって
いろいろと試してみた

それで作ったのが
かもしれない試しのシートだった

なんだか
導かれたように
過去にそのまま
放置していた考え方が
一気に身近になった

誰にも
こうかもしれないと
意識したことがあるだろう

たとえ意識していなくとも
人間の感情の領域から
自分が自分に
無意識の領域に
問いかけているもの
その応えが
そこに返ってきているのであれば
皆同じだ

つまり
意識した・しないに関係なく
応えは常に還ってきている

だったら
あえて意識して
そこに目を向けて
かもしれないリストを
みんなで作ってみよう
という提案だった

そして
何か課題が起きた時に
それらを
ひとつひとつ
丁寧に解(ほど)いていくための道具(ツール)リストとして
蓄積してゆくことで
仲間のCAREとケアの
ヒントにもなると思った

あらためてカンファレンスを
物々しく開かなくても
その都度確認し合うためのリスト
そんな即効性のある
玉手箱が欲しかった

そんな玉手箱を
持っているだけでも
お互いに安心した
心持ちでいられるし
実際のCAREとケアにも
役立つと思った

こう考えてゆくと
実際のCAREとケアの場での
争いはなくなると思った

最終的には
自分自身がスタートだと
認識できることを
目的としている

いわゆる
“因は我にあり”

君は動きっぱなしではないかい?
君は立ち止まって周囲を見渡したことがあるかい?
君は彼らに視線を送っているかい?
君は君を見ている彼らを感じたことがあるかい?
君は君と関わっている人以外の視線を感じたことはないかい?
君はこのことについて君自身と会話したことがあるかい?

そもそも
こうした基本をベースに
考えたことがあるだろうか?
なんでも基本が大切

でもそれって
自分だけの経験でしかないから
根拠がない
エビデンスがない

だから
それを
証明したいと思った

だから
僕の挑戦は
“認知症CAREと所作”(仮)
なるものを整理すること

時間がかかるかもしれないけれど
やる価値はあると思った

認知症のCAREとケアに
悩んでいる人が
多くいることを考えると
居ても立っても
居られないくなる性分なので
仕方がない

今まで
追っかけられていたような
毎日から
じっくりと追求する
毎日に移行していこうと
思った
猫のように🐈

後半の人生は
まとめの時間

僕は僕の人生の
フィナーレを飾るのに相応しい
やりたいことを見つけたようだ

Naoto

07:25 | 記事 nao [コメント:0]