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『幸せは自分の内にある』

2018年03月11日 | 未分類

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今回は長いです^ ^🐈

僕の話を聴いてくれたことのある人は、信じられないと思いますが、つい最近まで、研修会や講演会で僕が気になる人(目をつむっている人、寝ている人、笑わない人、反応のない人、腕を組んでいる人、第一印象が悪い人、勝手にこの人嫌だなぁと感じる人など)をつい見つけてしまうという性癖?がありました。

これは、とても一方的で、僕にそう思われてしまった人にとっては、はなはだ迷惑な話です。

つまりどう言うことかというと、自分の話に自信がなかったりすると、どうせ大したことない人間であるということを証明するために、先ほどのように見える人を見つけ、やっぱりそうなんだという証拠集めをしているに過ぎないということなのです。

それがこの癖の本質にあります。

そうなると、今度は自分の内面で自分自身に逆ギレが始まり、「どうせ」自分は受け入れてもらえない人間だから、「やっぱり」ダメな人間などと拗ねはじめ、ずっとその存在が気になり、自分の中でおかしくなったり、真っ白くなってしまったりするのです。

ただ、この現象は、僕の頭と心の中だけの出来事なので、周囲にはあまり知られません。

この事は、人前で話をすることだけの問題ではなくて、ありとあらゆる僕の人生に影響していた事で、信じられないと思いますが、僕は、ついこの間まで、そんな内面的な問題を抱えていました。

でも、ある日突然と言うか、気がついたらと言うか、その癖がまったく出なくなっていることに気がついたのです。

同時に、これまたビックリな話ですが、仕事や私生活で今まで気になっていたことや、課題だったことが、解決したり又は解決の方向に動き出したりと変わり始めている事に気がついたのです。

まだ半信半疑で、確認作業中ですが、どうせ「どうせ」を使うなら、「どうせダメ」から「どうせ凄い」に変えてやったらどうなるべと思い実行してみたら、やっぱり「やっぱり凄い」って事実が来たわけです。

「どうせダメ」と思っている時は「やっぱりダメ」を見つけ、「どうせ凄い」は「やっぱり凄い」を感じる事実を引き寄せるということがわかりました。

そしてこれが「大丈夫」の仕組みのわかりはじめであり、「安心」を手に入れるための法則なのだと思い始めている時の変化だったので、何かしら関係してるんだなと素直に受け入れることにしました。

今考えてみると、これまでも、そんな法則が働いていたのかもしれません。

これをパッカーンと言うものなのかはわかりませんが、結局、「幸せは自分の内にしかなく、ありのままの自分で結構なのだ^ ^」という結論に至って今を生きています^ ^🐈

僕はそんな強い人間じゃありませんでした^ ^
良かった^ ^(笑)

仁さん有難う^ ^🐈

最後まで読んでいただいて有難う^ ^🐈

13:22 | 記事 nao [コメント:0]