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【すべては「いい」かどうか】

2018年08月13日 | 未分類

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嫌な人は嫌だし、それを我慢して付き合うほど、人がいいわけじゃない。

例えばさ、今この人と付き合ってなきゃ、将来どうなるべとか、すっげ〜計算高くて、打算というか、損得勘定で人と付き合ったり、いろんな選択の基準になってた時があったさ。今でも少しあるけど(笑)。それに気づいた時は、最低だなって自分を責めてたね。バカじゃないのって、そう感じたんだわ。バカだけど(笑)、いいことも、そうでないことも、自分に正直に素直に生きようと決めたの。

今の人付き合いや何かを決める時の基本は、直感的な感覚がいい感じかどうかで決めている。だから今自分の周りにいる人たちは、自分自身にとっていい感じか、逆に経験的な何かを感じさせてくれるかの2つ。つまり、どちらもいい状態に持っていってくれる。魂が喜ぶかどうかってやつ。魂が喜んでるかどうかってわかるの?ってかい?それがわかるんだな。わかっちゃう簡単な方法はね、それはさっきから言ってるけど、自分がワクワクするか、楽しいか、気持ちがいいか、気分がいいかなの。それも無理してないか、我慢してないか、嫌ではないか、やりたいかやりたくないか、それが前提。

いい気分、いい感じ、いい状態に、いい雰囲気、いい味、いい匂い、いい手触り、いい耳触りなどなど、つまりはさ「いい」が基本なのね。

ということはね、その逆もセットで付いてきているので、「いい」を持っているとすぐわかるの。そうでない、いい感じてはないことがね。

それが仕事に直結しているわけで、なんも難しいことは言ってないんだよね。お爺さんお婆さんがや、一緒に仕事をするパートナーが、いい感じで居られるかどうかがすべてなのさ。

そう、決めたんだよね。

Naoto

07:38 | 記事 nao [コメント:0]