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【因は我にあり】

2018年08月20日 | 未分類

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因は我にあり

愛は求めるものじゃなくて、すでにそこに在ることに気づくことかも。

物理的に目に見えるものではないけど、見つけるっていうか、あっ!あった〜って感じてゆくもの。

愛は求めちゃいけないって言ってるんじゃなくて、もう自分の周りにはたくさんあるんだと気づくというか、そこを感じる自分でいられるか?まずは、そこを感じようやってこと。

あっ!それもそうだねって、ここにもあったわって感じてゆくこと。

そう感じる習慣がつくとね、小さなことでも愛を感じると思うよ。例えば、今朝美味しい珈琲が飲めたとかね。愛には、大も小もなければ、そもそも愛するも愛さないもないから、そこに在るのは「愛」が存在するだけ。

せっかく色んな経験をするためにこの世に来たんだから、色々と経験して感じてあの世?に帰った方がいいよ(笑)

昨日は感じたなぁ。
たくさん感じたなぁ。

ぼくは、沢山いる人に中にいるのが苦手なんです。なんでかって言うと、多分、傲慢だから(笑)。

色んなことを感じてしまうので、自分で在り続けることが出来なくなるというか、自分で在り続けることに疲れてしまうというか、気をつかうというか、合わせてしまうというか、これ難いね、わかります?

そうなると苦しくなるのです。

でも、昨日のような気心の知れた仲間と居ると、否定もされないし、心地よくいられるから、気持ちがいいのです。と、集まる毎に感じるのです。

「あ〜お前は間違ってるよ。多くの人たちはあなたを責めたり、傷つけたり、非難したり、罵声を浴びせたり、陰口を叩いたり、うわべだけの付き合いだったり、そもそも信頼していなかったり、そんな傲慢な人たちではないよ。そもそもそう考えるお前が傲慢なのさ。その傲慢さを経験するために生まれて来たんだよ」と。

そうして仲間の存在に感謝している自分が居るのです。

ありがとう^ ^です^ ^

Naoto

07:53 | 記事 nao [コメント:0]