自分へのメッセージって
いつも振り続けていると思うんです
映像の中の俳優さんのセリフ
歌手の歌詞の中に
読んでいる本の中に
聞いているラジオの中に
見ているSNSの中に
電車の中吊りの中に
自然の中に
そして
人との会話の中に
よ〜く耳や目を凝らして
意識していると
その時にあったメッセージが
あちらこちらから
届いているはずです
一度意識して
やってみるといいよ
Nao
2024年12月22日 | 未分類
自分へのメッセージって
いつも振り続けていると思うんです
映像の中の俳優さんのセリフ
歌手の歌詞の中に
読んでいる本の中に
聞いているラジオの中に
見ているSNSの中に
電車の中吊りの中に
自然の中に
そして
人との会話の中に
よ〜く耳や目を凝らして
意識していると
その時にあったメッセージが
あちらこちらから
届いているはずです
一度意識して
やってみるといいよ
Nao
2024年12月19日 | 未分類
あのですね、今まで生きてきて色んな経験をして解ったことがあります。それはですね、生きている中で起こる出来事って、神様に「さぁどうする?」って、なんか試されてるような気がするんですね。
で、何故そう思ったかと言うとですね、自分の身の回りで起きる出来事に対して、ついジャッジをしてしまう自分がいまして、例えば、最悪な出来事と自分がジャッジしたとしても、時間が経つと、その出来事によって起きた状況が変わっているんですね。そんなことは当たり前じゃないかと言われればそれまでなんですが、しかも、僕がとジャッジした最悪の状況のままではなく、逆に好転している事がほとんどなんです。これ、よくは解らないのですが、もしかして試されてた?って思うんです。
僕には、このことを科学的には証明することはできませんが、本能的、経験的、体感的に確かに感じていることは、その実験のプロセスから結果に至るまで、「もうダメだ」「最悪だ」というジャッジは必要ないということです。
振り返ってみると、僕はいつも物事に対して一喜一憂してきました。
自分にとってとか、会社にとって課題が生じた時に、その度に動揺して、不安で不安でいてもたってもいられない心境になるんです(笑)
60歳を過ぎた頃に転機が訪れまして、心が保てず、うつになり、しばらく休養させていただきました。そのため、アウルも、険しい峠を越えられるかどうかの瀬戸際を経験しました。沢山の人たちが去りました。でも、沢山の人たちが助けてくれました。(これも僕の強み)そのお陰で、なんとか峠は越えられました。それでも不安は拭えきれないでいました。
ある時、なんだかそれも疲れちゃいましてね。その時に、やるだけの手は打ったあとは、その後の経過を実験的に観察してみようと思って、少し他人事のように物事の経過を客観視して観察してみたんです。わざとに、意識してみたんです。
したらですね、確かに僕の手立てもそうなんですが、自然と物事が、時に痛みも伴いながらも解決したり、治ったりするんですね。あとは、そのことを僕がどう解釈するかが物事の納めどころなんでしょうね。
今の僕の物事に対する解釈はその程度です。人前で偉そうに喋っていますが、僕自身今も不安の中にいますし、日々悩みの中にいます。でもそれは決して悪いことではなく、これから来る最良の結果のプロセスに過ぎないのです。
前にインスタのリール動画で「最後には、すべてがうまくいくんだ。もし今うまくいっていないのなら、きっとそれは最後じゃないんだよ。もっと自分を信じたらいいよ。」って投稿したんです。最後には、なんだかんだいっても治まるところに治まるんです。
それは結果であって、確かにその過程ではうまくいかないことだらけの連続です。生きていたら、色んなことが起きるじゃないですか。僕は、その度に起きる出来事に対して、いつもドギマギしてしまうんです。こ〜なったらどうしようとか、あ〜なったらどうしようとか、最悪な状況を想像してしまい、落ち込むんです。これには、まったく根拠はないし、起きてもいないことを勝手に想像しているだけなんです。笑えるでしょ(笑)
これ僕の弱点だと思うんですけど、別の捉え方をすると、本能的に危機を感じて自分や何か大切な事やものを守ろうとして、本能的な反応としてドキマギしてるとも思えません?そう考えると、それはそれで弱点ではなくて強みでもあるということにもなりません?
僕の中での結論は、内に起こる全ての出来事は、ぜ〜んぶ実験だと思うこと。その上で、その出来事や物事を観察していくと、例えば、この最悪な状況やどん底の状況が、新しい前向きな状況や良好な状態を生むための出来事に過ぎなかったということに気づけるということなのです。どこかの扉が閉まれば、別の扉が開くという訳です。
現に僕の場合そうでしたし、これからもそうなんだと思えるようになったことは結構最強なんです。なので、人生は実験だと思って生きていると、たとえ落ち込んだとしても、必ず好転する経験をするので、大丈夫なんです。
自分の都合の良いことばかり書きましたが、いいことばかり続くわけはないので、そのためにも、この人生教訓として、この実験の法則の仕組みを理解していれば、次は良くなると思えるし、気持ちが楽になるし、次は落ち込むぞと思えば、その対策や気構えを持つことが出来るという訳です。
これも自分や何か大切な事やものを守る一つの手段として、どうせ生きるんなら楽しく生きたいという思いから生まれた捉え方なのです。
つまづいたっていいじゃないか、人間だもの(笑)人生を別な角度から見てみるのも時にいいかもしれないですね。
Nao
2024年12月18日 | 未分類
2024年12月15日
一般社団法人北海道認知症グループホーム協会の顧問でもありました、武田純子さんがご逝去されました。76歳でした。
訃報を聞いての第一声は「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」でした。
14歳も年上の方に、結構尖っていた頃もありましたが、僕にとっては偉大な方のお一人でした。
僕が、自分でグループホームをやろうと決めたきっかけと背中を押してくれた人でもあり、間接的にアウルの立ち上げには、なくてはならない存在で、大変お世話った方です。
一言で、凄い人です。
昨夜、お通夜に参列し、今日これから告別式に参列し、最後のお別れをしてきます。
心からご冥福をお祈りいたします。
今世のお役目お疲れ様でした。
ゆっくりお休み下さい。
Nao
2024年12月12日 | 未分類
還暦を過ぎて2年とちょっとが経ちました。
僕が若い頃の60代のイメージは、物事を達観している人でした。
僕の中での達観している人と言うのは、物事を先々まで見通していて些細なことに惑わされず、冷静で落ち着いた人のことです。
それと、精神的に成熟した人や感情を表に出さない人、細かい事でいちいち騒がない人と言うイメージでした。
しかし、いざ自分が還暦を過ぎて数年経ちますが、僕がイメージしていたそれとは違い、物事を先々まで見通すどころか、今に右往左往し、些細なことに心が動揺し、感情を表に出し、細かいことをめっちゃ気にする人間でした(笑)
それは何かや誰かのせいではなく、僕の意思であるから、仕方がないのだけれど、意外でした。
もしかしたら、他者から観ると違うように見えているのかもしれませんが、自分が感じている自分はそうでした。
今月の初め、当社内で自己理解と他者理解をゲーム感覚で経験する研修を行いました。
それはとっても良い機会で、自分が感じていない自分を、他者の視点で知ることが出来るという、不思議な体験でした。
ポジティブな研修で、自分の強みを自分自身で改めて考える機会と、他の人が僕の強みをどう見ているのかが、理由付きでよくわかる内容でした。
これはチームで物事を進めていく上で、とても有意義な情報共有ですので、また再び社内研修として行いたいと思います。
感謝
Nao
2024年12月09日 | 未分類
先日の土曜日、道の駅あびらD51ステーションに展示しています「ティラノサウルス」を観て来ました。
意外ですが、僕は恐竜が好きです❤️
この実物大のティラノサウルスのレプリカは、世界で3体しかなく、その一体が、北海道むかわ町にある博物館にあるんです。
凄くないですか!
思わず、ティラノサウルス🦖のフィギアを買ってしまいました(笑)
このちょっと好き程度で済ませておこうと思いますw
皆さんはどんな好きがありますか?
Nao
2024年12月06日 | 未分類
人は何か始めようとした時、最悪の事を考えて、結局何もしないまま終わってしまう事が多いようです。
でも、物事がうまくいかない本質は、何も行動を起こさない事です。
何か行動を起こせば、成功か大成功しかありません。
この世界に失敗というものはありません。あるとすれば、何もしないことが失敗と言えるでしょう。
行動を起こせば、もっとああすれば良いとか、こーすれば良いとか、課題がが解ります。
課題が解れば、一つひとつ課題に取り組む行動を起こします。
そうしてうまく物事がいくようになります。
その繰り返しです。
失敗したらどうしようと、自他の恐れからくる思考を退ける勇気が、うまく行くコツだと思います。
これまでの経験から体感した、何か始めようとした時の、3つのステップをご紹介します。
その1
その始めようとすることを徹底的に調べて知ること。
その2
次に、どうしたらそれが出来るかをあらゆる方向から検証すること。
その3
最後に、そのことをやること。
だいたいは、その1とその2で終わっていることが多いようです。
うまく行くためには、この3つのステップを繰り返し繰り返しやること。
一番大切なことは『やる』ことの他にないようです。
この自問自答の繰り返しです。
Nao
2024年12月04日 | 未分類
この世で生きている出来事に良し悪しはない。
あるとしたら僕らのジャッジだけ。
それも悪くはないけど、本質は違うところにある。
病気になろうが、失業しようが、お金がなかろうが、嫌な出来事があろうが、僕らの魂にとっては一つの経験。
病気になれば、健康であることの有難さ、失業したら仕事が出来ることの有難さ、お金がなければ収入があることの有難さ、嫌なことがあれば、穏やかな日々の有難さを感じられる。
人間、全ては捉え方次第。
少しでもいいから明るい方向に意識を変えるといい。
そう日々自分に言い聞かせる。
Nao
2024年12月03日 | 未分類
あのね、人生は実験だと思えばいいと、今思っています。
実験だと思って人生や物事を観察していくと、気持ちが少し楽しくなる気がするからなんです。
これも自分を守る手段の一つで、どうせ生きるんなら楽しく生きたいじゃないですか。
振り返ってみると、僕はいつも物事に対して一喜一憂してきました。
自分にとってとか、会社にとって課題が生じた時に、その度に動揺して、不安で不安でいてもたってもいられない心境になるんです(笑)
60歳を過ぎた頃に転機が訪れまして、しばらく休養させていただきました。
そのため、アウルも、険しい峠を越えられるかどうかの瀬戸際を経験しました。
沢山の人たちの支えがあって、なんとか峠は越えられました。
それでも不安は拭えきれないでいました。
ある時、なんだかそれも疲れちゃいましてね。
その時に、やるだけの手は打ったあとは、その後の経過を実験的に観察してみようと思って、少し他人事のように物事の経過を客観視して観察してみたんです。
実験ってなんかワクワクしませんか?
わざとに、意識してみたんです。
したらですね、確かに僕の手立てもそうなんですが、自然と物事が、時に痛みも伴いながらも解決したり、治ったりするんですね。
あとは、そのことを僕がどう解釈するかが物事の納めどころなんでしょうね。
今の僕の物事に対する解釈はその程度です。
人前で偉そうに喋っていますが、僕自身今も不安の中にいますし、日々悩みの中にいます。
人間だもの(笑)人生を別な角度から見てみるのも時にいいかもしれないですね。
Nao
2024年12月02日 | 未分類
「何事も忍耐で、苦労は報われる」って言うけど、本当のところはどうなんだろうと思う。
もちろん、物事を継続して、困難を乗り越えてゆく姿勢は、とっても尊い事だととは思う。
でも、三度の飯より好きな事は、何時間でも何日でも没頭できてしまうもの。
自分の「好き」を極め続ける人だけが一流になるんだと思う。
だから好きこそ物の上手なれと言うんだろうね。
仕事もまた同じで、好きなことは熱心に行うから、自然に工夫し勉強するようになる。
だから必然として非常に上達も早くなるのです。
もし、悩んでいる人がいたら、とことん好きを追求したらいいと思う。
がんばれ がんばれ
Nao
2024年11月16日 | 未分類
最近、妙に納得したことがあります。
山崎拓巳さんという方のインスタ投稿で話されていた内容を聞いて
「えっ!俺もやってんじゃん!」ってめっちゃビンゴだったんです。今日はそんな自慢話をしますね(笑)
人を巻き込む話し方には3つあるそうです。
① 聞いてくれている皆さん全体に向かって話す事
例えば
『皆さん!おはようございます!なんだか最近寒くなって来ましたけど、そろそろ雪が降ってくる季節になりましたね!』
と全体に向けて話をする事です。
② 個人に対して話しかける事
例えば
『一番前の方!そうあなたです!こんな季節にあったあったかそうなセーターですね。めっちゃいい!僕も昨日襟なしのダウンを無印で買っちゃいました(笑)』
みたいに、特定の人に焦点を当てて話しかけるんです。
③ 独り言をいう事
例えば
『でもなぁ〜、奥さんになんか言われそうだなぁ〜(笑)』
と独り言のように呟くんです。
まぁ、こんな感じで無意識にやってたんです。
まったく意識していないし、話し方を学んだわけでもないんですが、自然をやっていたし、自然に身についていた事なんです。
めっちゃ自慢話でしょ(笑)
認知症の話をする時も、とにかく聞いている人を巻き込みます。
巻き込むと、これが不思議なことに話がスゥ〜っと入ってくるんです。
まぁ、でも、中には必ずと言っていいほど、斜に構えて、腕を組んで、ニコリともせず、反応が薄くて、めっちゃ話しづらい人がいるのも事実です。
これね不思議なことに、必ずいるんです。
その人が悪いっていう話じゃなくて、必ずそういう人がいるって話なんですが、言いたいことは、そういう人を自分が作っちゃってる場合がほとんどなんです。
そういう人を見かけると、そりゃぁ〜話しずらいじゃないですか。
僕の対策はふた通りあって、一つは、そういう人を巻き込んでしまうように、勇気を振り絞って、関わるようにすること。
もう一つは、出来るだけ視界に入らないようにして話すこと。
この二つなんですが、結局、僕の思い過ごしだったという事の方が多いような気がします。
なぜかと言うと、話が終わったあと、自分が一方的にそう感じていた人から、『今日の話はとても勉強になりました』とか、『とっても良かったです』とか、言ってくれる方の方が多いからです。
なんとも僕は傲慢で、自分勝手な人間なんだと思わされる瞬間です。
せっかくの自慢話が、傲慢話になってしまいましたが、これからも人前で認知症と人の話をさせていただく機会があると思いますが、どうぞよろしくお願い致します。
では、バイなら!ならバイ!
Nao
写真は、介護職を元気にするバンド「カッパーズ」のメンバーと練習中に撮った写真です!
今月、21日(木曜日)に苫小牧市にあるエルキューブというライブハウスでライブをやります!どうかご参加下さい!ライブ会場で会いましょう!