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【大丈夫についての考察】

2018年09月17日 | 未分類

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私がフォローしている水野浩志さんのPostより

『※※ビジネスの視点から考える「何があっても大丈夫」という考え方をもっていた方が絶対に良い理由※※』(私のFacebookでシェアしましたので興味のある方は、お読み下さい)

その投稿を読んでインスピレーションを受けた私なりの『大丈夫』についての考察を書いてみました。

〜大丈夫についての考察〜

「よく大丈夫という人は、大丈夫じゃない人だ」

と、深いい言葉として紹介されますが、私にはいつも違和感がありました

実はそう言う人や、そう言われて納得している人の多くは

いい結果しか期待していない人の大丈夫であって、上辺(うわべ)の大丈夫しかみていない人が多いのではないかと感じます。

私の考える「大丈夫」は

いい結果であろうとも、例え悪い結果(本人が望まない結果)であろうとも、そのどちらが起きても、その全てをまず認めるという「大丈夫」という意味です。

そう捉えると結局、前を向いて次を考えられる「大丈夫」という姿に繋がっていきますから、いつも自分に正直で嘘偽りのない姿で、どんな困難にも向き合っていけます。

しかしその反面、「よく大丈夫という人は大丈夫じゃない人だ」と言う人や、そう言われ納得している人は、いい結果しか期待していない「大丈夫」であって、それ以外は、「大丈夫」じゃないということだから、それこそ「大丈夫ではない現実」を引き寄せてしまうことになります。

そうなると、その現実を体験しますから、いつまでたっても恐怖や不安の中にいて、前を向けずにその現実を繰り返す事になり、さらにその気持ちや状態を隠そうとしますから、自分を偽ったり、装ったり、自分に嘘をついて「大丈夫」を使うので、それこそ、いつまでも苦しい日々が続くのは当たり前になります。

と言うことは、口先だけの「大丈夫人間」になってしまい、周囲から「本当は大丈夫じゃないんでしょ」「凄いね」「偉いね」「かわいそうな人」「よく我慢してるね」とか同情をもらい続けて生きることに満足を見出す人になってしまいます。

挙句に果てに、同情がもらえなくなると、人や何かのせいにして、自分の敵を創り出し、わけのわからない戦いにのめり込んでいくはめになります。

それが私たちの仕事であるCAREに出てしまうと大変なことになりかねません。

これが大丈夫という意味の、私なりの考察であり、「大丈夫」の捉え方の違いです。

さて、私たちはどちらの「大丈夫」を使いましょうか?

私の心の中には、仮面ライダーもいるし、ショッカーもいます。お互いに手をとり合えばいいのになぁといつも思っています。

私は、以前、自分の名刺の裏に「大丈夫」と印刷していました。その意味の全てが、名刺の裏に集約されています。

私は、自分のいいところも、そうでないところも全てを認め、受け入れた「大丈夫」な姿で在ることを望み、在り続けたいですし、そうしています。

Naoto

07:44 | 記事 nao [コメント:0]