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【人間は自然を知っているのではない】

2018年09月29日 | 未分類

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人間は自然を知っているのではない

読書嫌いの僕が今読んでいる本ですが、これがまた凄い。

[自然農法]わら一本の革命 福岡正信

残念ながら、2008年に逝去されているのですが、今僕の感情を揺さぶっている一人です。

福岡氏は、本の中でこう語っています。

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私は、近頃つくづく思うんですが、この場所(田圃)に立って、この一枚の田圃をながめるのは、分科した専門の科学者だけの頭じゃだめだ。本当は、科学者と哲学者と宗教者の三者はもちろん、あらゆる畑の人、政治家も芸術家も含めて、ここに集まって、ここで評議して、果たしてこれがいいのか、という結論を出すところまでいかなきゃいけないと思います。

〜略〜

私は、私の所へ手伝いに来て、山小屋で自然農法を学んでいる青年たちによく話すんですが、誰でも緑の山の木を見ている。ミカンの葉っぱを見ている。稲を見ている。緑というものを知っているように思っている。朝に晩に、いつも自然というものに接して、その中に住んでいるように思っている。ところが、人間は自然を知っているのではないんだ。そして、この“自然を知っているのではない”ということを知ることが、自然に接する第一歩である、自然を知っていると思ったときには、自然から遠ざかったものになってしまう、と。

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まだまだ続きますが、要は、一つのことを極めるということは、あらゆる立場の皆さんが、同じ場所で、あらゆる角度からお互いに見聞きして、考えていくことが大切であると説いています。

ですから、「認知症」もまた同じで、専門職ばかりで語り合ったり、勉強し合ったりしても、あんまり意味がないというか、偏ってしまうと思うんです。

「認知症」を知っているということは、すでに「認知症」から遠ざかってしまっているということを、私たちは自覚して語り合うことが大切です。

ちなみに、文中にある「認知症」を別な言葉を当てはめると、全てのお題がそこに入ります。例えば、「看取り」「医療」「看護」「介護」など、なんでも入ります。要は、地球や宇宙の規模で考えることです

これって壮大なテーマかもしれませんが、人類はそこに一歩づつ近く、思考と言葉と行動を起こしてゆくことだと感じました。

僕は、感じたら動くを実践します。

Naoto

07:46 | 記事 nao [コメント:2]