どんな自分でも「いい」
以前、「自分の感情を否定してはいけない」って投稿したことがある
でも、よくよく考えてみると、そもそも「否定してはいけない」と否定することを否定しているではないか(笑)
と、今更ながらこれも自分の中にある「べき」だなと気がついた
その否定の裏側にあるのは、恐怖と不安
投稿自体は、その時の自分はそう感じていたし、そう思っていたんだから、それでいいとその時の自分の感情を認めている
以前の自分なら恐怖と不安で削除していた(笑)
結論を言うと、どんな自分でも「いい」と思えるかということ
どんな自分でも「いい」
そう、どんな自分にでもOKが出せるかどうか
どんな自分にでもOKを出せるっていい
苛々する自分も、悲しく落ち込んでいる自分も、怒っている自分も、嫉妬する自分も、気が狂いそうになる自分も、調子こいている自分も、腹が立っている自分も
楽しんでいる自分も、嬉しい自分も、心地いい自分も、気持ちがいい自分も、優越感に浸っている自分も、自信満々の自分も、得意げな自分も、おだっている自分も
それが本当の自分なら全部「いい」
そう考えると
一見ネガティブなことでも
自分で、自分を否定してきたこと自体、自分を否定することで自分を守ってきたということでもある
その都度、落ち込んで自分を守ってきた
その都度、不安になり自分を守ってきた
その都度、恐怖を抱き自分を守ってきた
そんな感じがする
人間っておもしろい^ ^
よ〜く考えると笑っちゃうけど、あれもこれもそれも自分なんだなぁ〜と、「いい」ことにしてみている(笑)
どんな自分でも「いい」し、OKなわけさ^ ^👌
Naoto